【宮永篤史の駄菓子屋探訪4】埼玉県北葛飾郡松伏町「鈴木商店」知る人ぞ知る、文化遺産的な駄菓子屋

全国約400軒の駄菓子屋を旅した「駄菓子屋いながき」店主・宮永篤史が、「昔ながらの駄菓子屋を未来に残したい」という思いで、これまで息子とともに訪れた駄菓子屋を紹介します。今回は埼玉県北葛飾郡松伏町の「鈴木商店」です。

何度か通った道だが知らなかった店

駄菓子屋いながきのSNSで全国の駄菓子屋情報を募集したところ、多数の連絡をいただきました。インターネットで調べても出てこないお店や、まだ行ったことのない自治体、近くまで行っていたのに見落としていた場所などなど盛りだくさん。駄菓子屋探訪は永久に終わらないことを確信しました!今回はその中から、埼玉県の東部、北葛飾郡松伏町にあるお店を訪ねてみることにしました。

教えていただいた場所は松伏町役場のすぐそば。宮永は松伏町の近所、以前紹介した星食料品店のある越谷市の出身です。これまで何度か通った覚えのある道ですが、ここに駄菓子屋があったことを今回初めて知りました。盲点です。

知る人ぞ知る、文化遺産的な駄菓子屋

看板はなく、ガラス戸は雨戸やカーテンで覆われていて、中の様子があまりうかがえない外観。「すでに閉業し、住宅化した商店」に似た雰囲気もありましたが、「ベーゴマあります。」という張り紙が、現役の駄菓子屋であることを教えてくれます。年季の入った引き戸を開けると、奥の座敷に腰掛けた店主が迎えてくれました。

土間に並ぶ台に平置きされた、たくさんの駄菓子。壁側の棚には袋麺やせんべいなど、年齢が高めの方々を想定した品物も並んでおり、客層の幅広さをうかがわせます。時間の経過というかけがえのないものでレトロ感が極まっていて、映画のセットや博物館の展示のようにも見えてしまう、素晴らしい趣の店内。聞けば、以前テレビの撮影が来たこともあったとのこと。すでに知る人ぞ知る、文化遺産的な駄菓子屋だったようです!

「子ども相手の商売だけど本当に難しい」

鈴木商店は、元々は店主の父親が昭和35年(1960年)ごろに創業した八百屋だったそうです。代替わりした際に、乾物などを売る食料品店に転業。その後、周辺にコンビニやスーパーマーケットが増えたことから、平成10年(1998年)ごろ、ほぼ駄菓子専業になったとのこと。駄菓子屋にしたきっかけは、転業を検討した際に相談した日暮里の問屋さんからの助言だったそうです。

「駄菓子屋になった当時は、モーニング娘がすごく流行ってたんですよ。グッズを置くとなんでもすぐ売れるので、売り上げ的にも助かったから感謝してます(笑)。長い間お店を続けてきたから、その流れで、今は商売というより気持ちで続けてます。息子が仕入れに行ってくれてるので、なんとか品物がそろっていますよ。子ども相手の商売だけど、本当に難しいよね、駄菓子屋って。みんな値段もよそのお店と見比べてるし、売り切れてると欲しがったり、欲しがるからってたくさん仕入れたら売れなかったり。時代とともに金銭感覚も変わっていってる。ちゃんとそういうのを考えてないと、とてもじゃないけど続かないよね」

「ベーゴマあります。」のベーゴマ、残念ながら、現在は回す時に使うヒモしかないとのこと(笑)。日本で唯一、埼玉県川口市で製造しているとのことなので、まもなく入荷されると思います!年季の入った建物で、話し上手な店主がいて、品ぞろえ豊富で店内に食べる場所があり(※コロナ禍で閉鎖中)、この場所を中心とした駄菓子屋コミュニティがある・・・ 鈴木商店はまさしく、未来に残したい駄菓子屋そのものの姿をしていました。

鈴木商店

住所:埼玉県北葛飾郡松伏町松伏2405

営業時間:平日9:00〜17:00

定休日:不定休

[All photos by Atsushi Miyanaga]

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