響いた「肉声」

 長崎で被爆した歌人、竹山広さんに一首がある。〈人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら〉。原爆の焼け野原で多くの遺体を重ね、火葬している。誰かの手のひらがまるで生きているように開いていった▲語ることはなくても、その手を忘れることはなかっただろう。「竹山広全歌集」の序文で、歌人の佐佐木幸綱さんは〈原爆は被爆者の体内に棲(す)みつき、生きる限り原爆もまた生きつづける〉と書いた▲体内の原爆を「思い出したくない」と語らない人、語れない人がいる。きのうの平和祈念式典で、最高齢の被爆者代表として「平和への誓い」を述べた岡信子さん(92)も、そうだった▲語り始めたのは80代からで「生かされた者の最後の務め」として被爆者代表に応募したという。「誓い」では救護活動のむごい現場と、父を捜す途中で見た無残なさまを語った。体内にすむ原爆を全身で証言した“肉声”が、まだ耳の奥で響いている▲岡さんの言葉との、この落差は何だろう。式典で「核兵器のない世界の実現に力を尽くす」と無表情で述べた菅義偉首相の言葉はただ、乾いて聞こえた▲竹山さんの歌にある。〈孫よわが幼きものよこの国の喉元は熱きものを忘れき〉。原爆の記憶、痛みという「熱きもの」を忘れまい。この国に忘れさせまい。(徹)

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