第103回全国高校野球選手権大会(甲子園)第3日の15日、第2試合で県岐阜商(岐阜)は明徳義塾(高知)に2―3のサヨナラ負け。9回、四球で出た走者を手堅く犠打で送られると、最後は相手の勝負強い打撃に屈した。
戦前から「名将対決」として大きな注目を浴びた一戦。馬淵史郎監督(65)の甲子園通算52勝目をたたえた県岐阜商・鍛治舎巧監督(70)の言葉に、勝負のあやが詰まっていた。
まず「(相手エース左腕の)代木君の制球が定まらなかった2回、3回に先制点を取ってやれなかったことが第一。あと6回に先制した後の無死三塁のところで4番、5番、6番のところで何とか工夫してもう1点取れていればと。それが勝敗を分けた一番のポイントかなと思います」とよどみなく語り、敗戦を正面から受け止めた。
その上で、敵将・馬淵監督の采配・選手起用をたたえ、自軍選手に「馬淵野球」を通しての成長を期待した。
先制直後の6回無死三塁で、馬淵監督が変則左腕への継投を決断した場面には「研究はしていて、どっかで代わるだろうなとは思っていましたが、いいタイミングでお代えになったなと思います。やっぱり百戦錬磨の監督だなと思いました」。
そう語ると鍛治舎監督は続けざまに、甲子園52勝監督の洞察力と勝負勘が冴えまくったクライマックスのシーンへと話を移した。9回二死、県岐阜商の2番手右腕・小西彩翔投手(2年)は走者を二塁に背負うと、明徳義塾の3番・森松(3年)に痛打を浴びた。
「最後、小西はカットボールで追い込んで三振を取るだろうという所でしたが、最後にカットボールを(逆方向の)左中間に押っ付けて打たれましたね。ああいう所は恐らく監督の指示だと思うんですよね。相手投手の組み立てを見て、それを狙っていく〝したたかな野球〟というのは、われわれにとっても大きな勉強になりますし、これから先、小西の野球人生の糧にしてほしいなと思います。いい野球を展開されました」
負けから学ぶことのほうが多いと言わんばかりに、当初は先発を託す考えもあった2年生右腕にエールを送った。
母校を9年ぶりの聖地に導いたが、校歌を響かせることはできなかった鍛治舎監督。それでも馬淵監督との〝競演〟で、高校野球ファンをうならせたことは間違いない。