【山崎慎太郎コラム】野茂英雄が89年入団 翌年にはタイトルを総ナメし“新エース”に

トルネード投法でタイトルを総ナメにした新エース・野茂

【無心の内角攻戦(13)】優勝した1989年オフのドラフトで新日鉄堺の野茂英雄が近鉄に入団してきました。最初に彼を見た瞬間「あ、これはモノが違う」と思いました。

体もゴツいし、遠投もえぐいし、球も速いし、フォークがすごい。それにあのトルネード投法でしょう。体の強さがないと投げれないし、俺には無理。「あ、これローテが1つなくなった」と思ったもん(笑い)。実際に僕は90年から中継ぎに回ることになったんですけどね。「フォームを触らない」という条件がついていたようですけど、あの性格は言っても聞かないし、意志の強さを持っていた。サイパンキャンプも自分流に遠投から始めるし、シーズンでもペースは変わらなかった。

口数が多い選手ではないし、最初はおとなしいんかな、と思っていたけど、大きな間違いでした(笑い)。気さくでよくしゃべる。ただ報道陣が大っ嫌いなので世間のイメージと全然違うと思います。あることないこと書かれて自分の思っていることが伝わらないからって話さなくなった。仲間内では全然普通で、イタズラ大好きですよ。佐野重樹のカバンの中に鉄アレイや消火器を入れて笑ってました。「うわ、重!」みたいな(笑い)。野茂、吉井理人さん、佐野、池上誠一の4人がいたずら好きでよく一緒にいましたね。野茂が僕の家に遊びにきたこともありましたよ。注目度がすごかったので大変やなって思ってました。それまでマスコミも少なかったのがむっちゃ増えて、ほとんど野茂に一極集中でしたね。

エースだったのは阿波野秀幸さんですけど、野茂が来たからといってその2人の関係がどうこうなることはないですよ。野茂は社会人やし、阿波野さんも亜細亜大ですし、バチバチするとかはないし、普通に話していましたよ。すぐにエースの座が替わることはない。でも、90年のルーキーイヤーに野茂は18勝8敗で最多勝、防御率、奪三振、MVP、沢村賞とタイトルを総ナメにしてしまった。阿波野さんも10勝11敗と奮闘しましたけど、西武戦でけん制球をボークだとか抗議されたこともあって、フォームを崩してしまうことになるんです。翌91年は故障で2勝止まりと成績がよくなかった。エースが入れ替わってしまったんですよね。でも2人は仲よかったですよ。

野茂のすごさはシーズンを通して投げるなかで見えてくる。1試合200球くらい投げて四球を10個くらい出して完投して勝つ投手なんていないですよ(笑い)。それで90年から4年連続の最多勝ですからね。やはりコンディショニングコーチだった立花龍司さんとの出会いが大きかったんじゃないですか。メジャーでやりたいというのはずっと言っていたし、入団時からすごく興味を持っていたと思います。立花さんは渡米してアメリカ式の最新トレーニングを学んでいたし、メジャー大好きな同士、意気投合して…。

☆やまさき・しんたろう 1966年5月19日生まれ。和歌山県新宮市出身。新宮高から84年のドラフト3位で近鉄入団。87年に一軍初登板初勝利。88年はローテ入りして13勝をマーク。10月18日のロッテ戦に勝利し「10・19」に望みをつないだ。翌89年も9勝してリーグ優勝に貢献。95年には開幕投手を務めて近鉄の実質エースとなり、10勝をマークした。98年にダイエーにFA移籍。広島、オリックスと渡り歩き、2002年を最後に引退した。その後は天理大学、天理高校の臨時コーチや少年野球の指導にあたり、スポーツ専門チャンネル「Jスポーツ」の解説も務めている。

© 株式会社東京スポーツ新聞社