中田翔「巨人で再起」に何が必要か お手本は年下の先輩を居酒屋で叱った小久保裕紀

巨人への無償トレードで復帰した中田翔

【赤坂英一 赤ペン!!】巨人への無償トレードで復帰した中田翔への風当たりが厳しい。4日に暴力事件を起こし、日本ハムから無期限出場停止処分を受けながら、巨人に移籍した途端に解除。この性急なコトの運び方に、多くのファンや球界OBが異を唱えている。

そんな批判の声を押さえるには、22日のDeNA戦で飛び出した〝巨人1号〟ぐらいではまだまだ足りない。もっと中田が打ち、巨人が勝ち、誰をも納得させられる結果を出すことが必要だ。

巨人には格好の前例、中田には最高のお手本がある。2003年オフ、中田と同様、やはり突然無償トレードでダイエー(現ソフトバンク)から移籍してきた小久保裕紀(現ヘッドコーチ)だ。

小久保は当時、押しも押されもせぬホークスの4番として2度の優勝と1度の日本一に貢献。本塁打王、打点王に輝き、選手会長まで務めたパを代表する大打者だった。

ところが、当時の球団社長の横暴な振る舞い、理不尽な年俸査定などに小久保が抗議して深刻な確執に発展。03年の試合中に負った重傷の手術代も自費でまかなわされるに及び、小久保が「退団したい」と訴えたのだ。

そこでダイエーの中内正オーナーが読売に働きかけ、小久保の巨人移籍が実現。無償トレードとなったのは、本来はダイエーに払われるべき譲渡金が、小久保の年俸に上乗せされたからという。

ちょうど02年に松井秀喜がヤンキースにFA移籍して以来、主砲不在だった巨人では小久保を歓迎。移籍1年目の04年に打率3割1分4厘、巨人の右打者として球団史上最高の41本塁打を放つ大活躍を見せる。

堀内監督は「小久保は野球に取り組む姿勢が素晴らしい。ウチにいなかったタイプ」とゾッコン。移籍3年目の06年は8年ぶりに復活させた主将に抜擢したほどだった。

最後に、中田に参考にしてほしい話。私は当時、その小久保が主力選手を叱っている場面に出くわしたことがあるのだ。

キャンプ地・宮崎での夜、ある居酒屋でのこと。その選手が、別の席に小久保がいると知っていながら挨拶せずに帰ろうとした。その選手は小久保より年下だが、巨人では自分が先輩というおごりがあったのかもしれない。

小久保はその選手に「目上の人間に挨拶ひとつきちんとできないようではいけないぞ」と懇々と諭していたものだ。ちなみに、小久保はこの時、いまの中田とほぼ同じ30代前半。ぜひ見習ってほしいところである。

☆あかさか・えいいち=1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。

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