伝統の酒樽 長崎県唯一の職人 一ノ瀬 安史さん(74) 46年の技術と勘

木づちで慎重にたがを締め上げる一ノ瀬さん(杵の川提供)

 ふくよかな味わいの奥に広がる爽やかな木の香り。鏡開きで知られる樽酒は、結婚式や祝賀会などを華やかに演出する縁起の良い酒。この酒に欠かせない酒樽をたった1人で作り続けている職人が長崎県諫早市にいる。
 一ノ瀬安史さん(74)。28歳の時、父の後を継ぎ、樽作りの世界に飛び込んだ。
 古くから樽作りは分業制で、1950年代には諫早にも10人ほど職人がいた。次第に数が減り、父は本県で唯一、すべてを1人で作り上げる樽職人として奮闘していた。日本がバブル経済に沸いた頃は寝る間もないほど忙しくなったが、専業にできるほど安定した仕事ではなく、一ノ瀬さんは電子機器製造会社で夜勤をしながら樽を作り続けた。
 きめが細かく上質とされる奈良県産吉野杉の板にカンナをかけ、1枚ずつ丁寧に削り出す。酒が漏れないようピタリと形を合わせるには、長年の技術と勘が欠かせない。たがに使用する竹は長さ約9メートル。竹を割り、必要な厚さに削る工程は特に難しく、樽を組み、締め上げる過程には体力もいる。腱鞘(けんしょう)炎と腰痛は職業病だ。「機械化すれば少しは楽になると思うが、設備投資にかかる費用は膨大。何度もやめようと思った」

削り出した吉野杉で樽を作る一ノ瀬さん=諫早市(杵の川提供)

 64歳の時、いよいよ樽屋の看板を下ろそうと、取引先の酒造会社「杵の川」(諫早市)へあいさつに行くと、先代社長から社員になって続けてもらえないかと頼まれた。その熱意に押され、一ノ瀬さんは全国的にも珍しい造り酒屋の樽職人として、普段は配達や瓶詰めなどの仕事に携わりながら、今でも樽作りを続けている。
 コロナ禍で、昨年春から樽の注文は激減。作業場に明かりがともることはめっきり少なくなった。50代半ばのおいが受け継ぎたいと習いに来ているが「これだけで食べていける訳でもなく、難しいと思う。何とか技術を残そうと続けてきたが、おそらく自分の代で終わり」

杵の川樽酒は全国コンテストで金賞に輝いた

 そんなとき、一ノ瀬さんの樽で仕上げた「杵の川樽酒」が、今月開かれた「全国燗酒コンテスト特殊ぬる燗部門」(同実行委主催)で、金賞を受賞した。樽の香りが決め手になっている。世界的なワイン品評会「インターナショナルワインチャレンジ(IWC)2019普通酒部門」でも金賞に輝いた酒。冷やでも十分おいしいが、ぬるめの燗にすると清涼感あふれる自慢の香りがさらに際立ち、ウナギの蒲焼きなどこってりとした料理に良く合う。「今まであまりなかった飲み方として楽しんでもらえれば」
 どこか寂しそうだった職人の横顔が、少しだけほころんだ。

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