原爆や戦争の記憶継承へ「体験談重要」7割超 年齢重ね、被害の受け止め方に変化も ナガサキポスト原爆・平和アンケート②

原爆や戦争の記憶の「風化」にあらがおうと、「継承」に向けた取り組みが進む戦後76年目。県民らはこれまで、どう学び、何を受け止めてきたのだろうか。

長崎新聞社は8月9日の「長崎原爆の日」に合わせ、本紙情報窓口「ナガサキポスト」のLINEを活用して原爆や平和に関するアンケートを実施した。県内外の126人が回答した。

■原爆の実相、被爆者講話や資料に学ぶ

原爆の被害を学ぶ上で重要と感じたものを複数回答で尋ねると、回答した126人の7割以上が「被爆者の講話」と「資料館などの見学」を選択した。「授業(教科書)」も半数を超えた。

■原爆を知る「声」どう残し、伝えるか

学んで印象に残ったこと(記述式)で、長崎市の50代パート女性は「活字でも悲惨さは伝わるが、生の『声』で聞く体験談に勝るものはない。原爆を経験した『声』をしっかり記録していくことが重要」と回答した。

“被爆者なき時代”を前に、活字メディアの新聞も継承の在り方を模索している。記者として、今直接聞ける声をどう残していくのか考え続けたい。

学ぶ上で新聞やテレビが重要と考える人は5割前後だった。

■「原爆=怖い」イメージも。子どもにどう伝える?

被害の受け止め方が、年齢を重ねて変わった人も。幼い頃に「原爆=怖い」としか感じなかった諫早市の40代女性会社員は、今は「資料館の展示を客観的に見たり、平和な時代に感謝したりする」という。

大村市の30代主婦は「黒焦げの少年」の写真について「小学校低学年の頃から見ていて、一時期はとてもショックだった。今では『あの少年はちょうど今の息子と同じくらいかも』と思う。亡くなった人にも人生があり、家族がいた」と考えるという。

原爆や戦争の非人道性を伝えつつ、子どもに過度なストレスを与えずに持続可能な学びを提供できるか。今後の課題だ。

■焼け焦げた遺体、傷口のうじ虫…家族に惨状聞く

原爆や戦争の体験を家族らに聞いたことがあるかも尋ねた。回答者の8割近くが「ある」を選んだ。爆心地付近の惨状、旧満州からの引き揚げ、家族を栄養失調で失ったこと…。受け継いだ「記憶」をつづった。

「地獄絵」となった被爆地の様子を親世代などから聞いた人もいた。

諫早市の60代無職男性は、母の話で「焼け焦げた人の遺体、水を求め人が浦上川でうごめく惨事」を知った。長崎市の50代女性会社員は、負傷者を看護した母から「傷口にうじ虫が湧き、水が飲みたいとしきりに言われた」と聞いた。

長崎市の50代無職男性は、犠牲者の遺体を列車に積んだ祖父が「亡くなる数日前にも思い出して苦しんでいた」という。

「父は被爆者手帳を持たない被爆者だった」と書いた東彼杵町の50代男性会社員は「(父の)背中一面にガラス片が刺さった傷痕」を見た。大村や諫早、島原半島など各地から見た「きのこ雲」の話を聞いた人も多い。

■「生きているうちに聞けば」後悔も

長崎市の40代女性公務員は祖父母に聞いたが「しっかり覚えていない。生きているときにもっと聞けば良かった。今とても後悔している」と明かす。被爆者の平均年齢は83歳を超え、タイムリミットは近い。

2割余りは体験を聞いたことがない。諫早市の40代女性会社員は「(相手が)高齢になって聞いたので、認知症で詳しい内容が分からなかった」。高齢化で被爆体験の継承が難しくなっている現実を物語る。

(三代直矢)

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アンケートは7月24~31日にウェブ上で実施。質問は選択・記述式で計14問。10代以下~80代が回答し、50代が29%で最も多く、次いで40代19%、60代18%、30代16%など。県内のほか、熊本、東京、神奈川、和歌山などから回答があった。


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