東京パラ 卓球(知的)浅野俊 人生変えたラケット いとこ4人組が原点

子どものころから仲良しいとこ4人組で卓球の練習に励んできた浅野俊(右端)=西彼時津町

 25日、東京パラリンピック卓球男子シングルス(知的障害)に出場した浅野俊(たかし)(20)=PIA、長崎市出身=の原点には、3人のいとこの存在がある。近所に住んでいた仲良し4人組は、子どものころから一緒にピンポンを楽しみ、泣き、笑ってきた。母、麗華さん(53)は今、心から思う。「みんなのおかげで卓球と出合えた。きっかけをくれて、ありがとう」
 乳幼児健診で「この子ちょっと違うな」と言われ、検査をして障害があると分かった。程度は「一番軽い方」(麗華さん)。自分で整理して考えることはできたが、記憶力が良くなく、努力して覚えた漢字も忘れてしまう。「どうして僕は病気なの。いやだ」と涙を流す日もあった。麗華さんは「ごめんね。一人一人神様がつくるの違うから。でも、病気じゃないの。俊には絶対いいことあるよ」と寄り添ってきた。
 遊び好きでけんかっ早い子だった。麗華さんは「友だちのお母さんに謝ることが多かった」。そんな息子が「けんかしないでいいように」と、長崎市立横尾小2年のころ、いとこたちが通っていた卓球場へ連れて行った。国体などでも活躍してきた美慧さん(24)をはじめ、清霞さん(21)、竜健さん(18)の3人のいとこたちと練習するようになった。
 コーチからは「集中力がない」と怒られたりもしたが、いざラケットを握ると「才能がある」と褒められた。いきなり健常者の大会で優勝して驚かせた。だが、本人の希望は「学校の野球部に入りたい」。周囲は「卓球をやめるのはもったいない」と好きなお菓子をご褒美にしながら、懸命に引き留めた。
 練習場所は長崎市や西彼時津町の体育館が多く、麗華さんが4人を車に乗せて送迎した。迎えに行くと、いつもへとへとに疲れていた。ある日「80パーセントでいいよ」と言うと、息子は怒った。「優勝は簡単じゃないよ。なんで頑張らないで優勝できるの」。結果を出すうちに、いつしか夢中になっていた。
 そんな厳しくも温かい周囲に支えられ、西彼長与町立高田中時代からは障害者大会にも参戦するようになった。卒業後は瓊浦高に進み、就職先にも恵まれた。
 麗華さんは、しみじみ思う。「今では仕事が楽しいと言ってくれる。信じられない。多くの人に助けられて卓球を続けてきてよかった…」。いとこの美慧さんも「小さい手を握ってフォームを教えていたのに、私よりも大きくなった。昔から言っていた夢の舞台を楽しんでもらえたら」と自分のことのように喜ぶ。
 いとこ4人組で始めた卓球が、人生を変え、この日、自国開催のパラリンピック初戦を白星で発進した。

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