諫早・本明川 氾濫時に備え 住民による避難誘導体制 自主防災への試み

本明川沿いで昨年7月の豪雨を振り返る堀口会長=諫早市天満町

 630人の死者・行方不明者を出した1957年7月の諫早大水害。長崎県諫早市中心部を流れる本明川沿いに位置し、甚大な被害に見舞われた天満町で、地元自治会が住民による避難誘導体制を構築し運用を始めた。本明川氾濫の危険が迫った際、浸水が懸念される地域の住民に対し、避難準備や避難を電話で呼び掛ける仕組みだ。近くの中学校体育館の鍵を自治会長が学校側から預かり、速やかな避難所開設も図る。自主防災、共助の新たな試みとして注目されそうだ。

 「市内全域に警戒レベル3 高齢者等避難を発令しました」。台風9号が接近していた今月8日午後4時、同町自治会の堀口春記会長(79)の携帯に市の防災メールが入った。

■誘導隊員44人

 5月、避難の判断に関わる情報が全国的に変更されて以降、市が「高齢者等避難」を発令したのは初めて。本明川の様子を確認するため車のハンドルを握った。幸い、雨量が少なく、本明川は平常水位。安堵(あんど)したころ、電話が相次いだ。「避難誘導させないといけないか」。関係者からの問い合わせだった。

天満町自治会の避難誘導体制(イメージ図)

 仕組みはこうだ。諫早大水害時に浸水したエリアの自治会住民(戸建ての139世帯351人)に対し、本明川裏山観測所(同町)の水位が4段階のうちレベル3の「避難判断水位」(3メートル)近くになれば避難準備を、レベル4の「氾濫危険水位」(3.7メートル)に迫ってきたら避難を、それぞれ電話で呼び掛ける。浸水想定地域外の住民が誘導隊員(計44人)となって各担当世帯に連絡し、どこに避難するかも確認する。避難に当たっては、堀口会長が市立北諫早中の校長と市に連絡した上で、預かっている合鍵を使って同校体育館を避難所として開設する。
 きっかけは昨年7月6日の記録的豪雨。同観測所の水位は「氾濫危険水位」を超え、午後4時10分には3.79メートルに達した。氾濫危険水位を超えたのは長崎大水害以来、38年ぶりだった。

■体育館の合鍵

 同じころ、堀口会長の携帯が鳴り始めた。「北諫早中に避難しに行ったが、開いていない」。市に問い合わせると、「上山荘(宇都町)を避難所として開設しているので、そこに行ってください」との返答だった。
 市の「広域避難場所」は上山荘や同校など市内に74カ所。当時、市は大雨などの状況に応じて地域ごとに順次開く体制を取っており、同日は同3時現在、13カ所を開設。この時点では同校は含まれていなかった。開設には職員の人手が必要という事情もあった。
 解錠してくれたのは校長だった。夫と自宅から車で避難した50代女性は「仕方なく、車内で過ごしていた。校長先生が来てくれてほっとした」と振り返る。職員が同校に到着したのは約1時間後。「上山荘は天満町から距離があり、大雨の中、高齢者が歩いて避難するのは無理」。こうした声が自治会内で噴出したという。
 自治会が今春、浸水想定エリアの自治会住民に対し、希望する避難場所をアンケートしたところ、同校を選んだ世帯が過半数を占めた。結果を受け、市や市教委に協力してもらい、同校に緊急時の対応を相談。堀口会長が合鍵を預かることになった。

避難所となる北諫早中体育館=諫早市城見町

■市と情報共有

 互助や共助の問題に詳しい鎮西学院大社会福祉学科長の岩永秀徳教授は「災害時、行政だけでは対応は間に合わない。自治会が自分たちの命を自ら守る仕組みは、住民の防災意識にもつながる」と評価する。今後▽夜間も含めた定期的な訓練▽住民同士の日ごろのコミュニケーション▽町内清掃などを活用した避難路の確認-などが必要とした上で、「自社ビルを避難場所として開放したり、避難住民に飲料を提供するなど地元企業も賛同し、取り組みが広がれば」と期待する。  一方、市も状況に応じて地域ごとに順次開いていた避難所について、市民が把握しやすいよう、「高齢者等避難」発令時に14カ所を固定して一斉開設するよう運用を見直した。レベル4の「避難指示」発令時には、状況を踏まえ追加開設する。「乳児・妊産婦専用避難所」の新設や避難所開設後の混雑状況をスマートフォンで確認できる仕組みの導入など、行政側も安全確保のための模索が続く。
 堀口会長は中学3年の時、諫早大水害を経験した。半造川の氾濫で自宅は浸水。家族6人でタンスの上に避難し、恐怖の一夜を過ごした。今月の台風9号接近や中旬の大雨で本明川は「避難判断水位」に迫ることがなかったため、同自治会の呼び掛けは発動しなかったが、今、あらためて思う。「自然災害は想定外の事態が起きる。だからこそ日ごろの備えが必要。市と情報を共有し、住民の命を守りたい」

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