棚橋弘至はなぜメットライフドームの空席に〝エアアピール〟を続けていたのか

棚橋は会場のすべてに視線を送っていた

【取材の裏側 現場ノート】新日本プロレスにとって7年ぶりの再進出、初の2連戦開催となったメットライフドーム(埼玉)大会(4、5日)はコロナ禍の影響もあって初日が2095人、2日目が2780人の動員にとどまった。観客上限を大幅に下回る結果に木谷高明オーナーも「謙虚に受け止めて反省しないといけない部分はある」厳しい表情を浮かべた。

だが、空席の目立つ会場でもIWGP・USヘビー級王者の棚橋弘至(44)は変わらなかった。4日大会のメインイベントで飯伏幸太(39)の挑戦を退けて初防衛に成功。試合後のリング上ではエアギターのパフォーマンスから「愛してま~す!」と絶叫し、大会を締めくくった。

ファンサービスさえ満足にできない現状で、棚橋は何度も何度も会場のファンに手を振り、声をかけ、アピールを続けていた。360度を見渡し、プロレスの楽しさ、レスラーのすごさを伝えようとした。ふと気付いたことがある。棚橋はファンが入っていない席、無人のスペースにまで視線を送り手を振っていた。

この時の棚橋の胸に去来していたのは、団体の「暗黒時代」と呼ばれた2000年代の光景だった。プロレス人気が低迷し、集客に大苦戦を強いられたあの時代、地方の会場を訪れるたびに空席が目立つ現実と直面した。入場時にコーナーに登り、誰もいない空間をジッとにらんでは「次、この会場に来た時には、あそこまでお客さんを入れる」と誓っていた。

「だから今回も外野席とか少ししか入っていない状態で、その客席をしっかり見ながら『また次やる時は、あそこの席にも入れてやるんだ』って誓ったんです。僕ね、ずっと人のいないとこにアピールしてました。逆に燃えてくるんですよ、次来るときはあそこまで満員にしてやるって。〝エアお客さん〟にアピールしてました」

プロモーションもファンサービスも試合も全力でこなし、不眠不休の努力を重ねて暗黒時代から抜け出した。空席だらけの会場は、超満員の熱気を取り戻した。「情熱のすべてをプロレスに費やしてきて、みんなが楽しめるプロレスになって…。よかった、やりきった。俺、頑張ったじゃんって思ってたんですね。でもこういう不測の事態で、コロナ禍の状況でファンの方も楽しめない状況が続いて。このままでは終われないですよ」。新日本プロレスに2回目の「復活」もたらすことが、棚橋のレスラー人生最大の目標になった。

空席の目立つメットライフドームを見て棚橋は自らを奮い立たせた。「昔、天龍さんが『自家発電できないレスラーは消えていく』って言ってたんでね。常に熱量を高くキープするというのは、やってます」。苦しい時に立ち上がる。逆境でこそ真価を発揮する。棚橋弘至はプロレスの権化のような存在だと感じる時すらある。

もしもいつか棚橋の引退試合が行われる日が来たら、記者は是が非でも会場で取材をしたい。その会場は、立すいの余地もない超満員に違いない。悲しみの夜なんてなかったかのように、みんなが楽しめるプロレスが戻っているはずだ。

(プロレス担当・岡本佑介)

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