東武・東急に捨てられた悲劇の都営三田線~計画が二転三転も実は今後最も将来性がある地下鉄か?

都営三田線とは

都営地下鉄三田線は、東京都板橋区の西高島平駅と品川区の目黒駅を結ぶ26.5kmの路線で、東京都心とかつての鉄道空白地帯を結ぶ地下鉄路線として活躍しています。
列車は目黒駅から東急目黒線、来年2022年にはさらにその先の相鉄線との直通運転も行われることが期待されています。
しかし、そんな三田線は、かつて現在とは全く別の路線と直通運転させる計画がありました。今回は、直通予定先の東武、東急に見捨てられた悲劇の都営三田線の歴史と今後の展望について見ていきます。

都営三田線の開業までの歴史

都営三田線 当初の計画

都営地下鉄三田線はもともと、山手線の内側で移動が不便であった豊島区付近と大手町方面の都心を結ぶことを目的に、1957年に東京都市計画高速鉄道網で計画されたことが始まりです。

1962年の計画

計画当初は地下鉄東西線の大手町から分岐し、東武東上線の上板橋駅へ至る東西線の支線として計画されていたものの、1962年の都市交通審議会第6号で五反田から大手町・巣鴨などを経由して上板橋に至る路線に変更されました。

実は都営浅草線に直通する予定だった

実は都営浅草線に直通する予定だった

列車自体は五反田から先、現在の都営地下鉄浅草線にあたる東京1号線と線路や車両基地を共用する形で泉岳寺まで直通運転を行い、それに合わせ線路幅も浅草線と同じく標準軌で設計されていました。

東急と東武が三田線に直通する構想を打ち出す

ところが同じ年の1962年、東武と東急がそれぞれ自社路線を都営三田線に直通させる構想を打ち出すと、計画は大きく変更されました。

東急の三田線乗り入れの計画

東急電鉄は三田線の終着となる予定の五反田駅から池上線を経由し、現在の大井町線の二子玉川まで直通運転させる構想を打ち出し、東武側は上板橋から東上線と直通させる計画を示しました。

東武の三田線乗り入れの計画

当時東京市の戦略により山手線よりも内側の都心エリアは私鉄路線の乗り入れが難しく、首都圏の各私鉄にとって都心直通は悲願でした。

直通する予定だった大井町線

これに対し東京都交通局は、三田線を浅草線と同等の規格で設計し、車両や車庫を共通化したい意向を見せていたためこの計画に難色を示していたものの、結局運輸省の仲介により直通計画が採用され、三田線は東武・東急に合わせた狭軌で建設されることになりました。

修正後の計画

その後駅の改修の問題や線路容量の問題から東武側の接続駅が現在の和光市駅に変更されるなど複数の修正が加えられたものの、1964年には「6号線建設および相互直通運転に関する覚書」が締結され、都営地下鉄、東急、東武の3者の路線で直通運転させることが決定しました。

直通計画が決定!ところが・・・

東急が田園都市線を建設する構想を打ち出す

ところが翌年の1965年、東急は急遽二子玉川駅から渋谷までの新路線、田園都市線を建設し、渋谷で接続する銀座線へ直通させる構想を打ち出し、都営三田線との直通計画は撤回されてしまいました。

三田線 路線図

結局三田線は直通計画が不透明なまま1968年に高島平・三田間を開通させ、東武東上線との直通に向けて準備が進められました。

東武も三田線乗り入れを撤回・・・

しかし、その数年後に現在の東京メトロ有楽町線にあたる東京8号線の計画が固まると、東武東上線の直通先が有楽町線に変更され、今度は東武側も三田線への直通計画を撤回しました。
東武にとっては、和光市から北へ迂回し都心までの所要時間が余分にかかる上、主要駅である池袋を経由しない三田線よりも、距離が短く池袋や銀座などへアクセスできる有楽町線に直通した方が利益につながり、
東急にとっても二子玉川から大きく南へ迂回する三田線直通ルートよりも、副都心の1つである渋谷方面へ向かった方が距離も短く便利であったため、都営三田線は利便性の面では太刀打ちできませんでした。
都営地下鉄としては、既に東急・東武の路線と直通させることを前提に狭軌で路線を開業させていたため強く反発したものの、結局東急と東武に押し切られてしまいました。

直通計画頓挫後の三田線延伸

東武東上線・東急大井町線との直通計画が消滅した都営三田線でしたが、その後も複数の延伸計画が進められました。

1976年の延伸区間

東武東上線との直通計画が消滅した影響で高島平から西の板橋区に鉄道空白地帯が広がっていたため、東武鉄道が保有していた事業免許を譲り受け、1976年に高島平・西高島平間を開業させました。

港北ニュータウンへの延伸計画

一方で南側は、1971年には当時の終着駅三田駅から西馬込、横浜市の港北ニュータウンを経由して横浜線の中山まで延伸させる壮大な計画が打ち出されました。

東急目黒線へ直通

結局この計画は実現には至らなかったものの、1985年の運輸政策審議会答申7号では、三田線を目黒まで延伸させ東急目黒線と直通させる計画が決定し、横浜方面まで路線がつながることになりました。
それから難工事の影響で3回の延期を経て2000年に三田・目黒間が開業し、白金高輪・目黒間で線路を共用する南北線と合わせて3者による直通運転が開始しました。

三田線の今後

こうして、現在の路線が完成した都営地下鉄三田線ですが、今後さらなる発展が期待されています。2022年に相鉄・東急直通線が開通することに伴い、東急目黒線経由で相鉄線との直通運転も始まります。
これにより、相鉄からの新たな利用者獲得が見込めるだけでなく、都営三田線沿線から東海道新幹線との接続駅である新横浜まで乗り換えなしで移動できるようになり、利便性が一気に向上します。
直通開始に伴い三田線は8両編成化も行い、新型車両を導入するなど大きな改善が行われています。
また、迷列車74号で紹介したように、白金高輪から品川までの延伸計画も実現に向けて動き出しており、さらなる路線ネットワーク拡大が期待できます。
直通予定の2社に裏切られ、様々な痛手を受けた都営地下鉄三田線ですが、これから延伸や直通運転などこれからの発展が楽しみな路線になりましたね。

【著者】しんやまかぜの新館【鉄道系YouTuber】

鉄道系YouTubeチャンネルしんやまかぜです。関東を中心に、鉄道・交通に関する最近の話題を発信しています。

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