「どうしてこんなものが…」 浦上刑務支所の写真、ネットで落札 被爆者の堀田さん

「原爆投下以降と以前の歴史を残していかなければいけない」と語る堀田さん=長崎市内

 「どうしてこんなものが…」。昨年12月、被爆者の長崎平和推進協会の写真資料調査部会の堀田武弘さん(80)=西彼長与町=が自宅のパソコンを操作する手が思わず止まった。ネットオークションに「長崎刑務所浦上刑務支所」などが写った絵はがき数点が出品されていたのだ。
 堀田さんは、被爆地長崎のテレビカメラマンとして原爆報道などに携わる傍ら、長崎に関する古写真の収集を40年以上続けてきた。長崎が要塞(ようさい)地帯法で写真の撮影が制限されていたにもかかわらず、被爆前の浦上地区の様子が写っていると気づいた。「原爆投下以降と以前の歴史を、長崎に残していかなければいけない」と思い、落札した。
 絵はがきは、浦上刑務支所を含む浦上地区の俯瞰(ふかん)写真のほか、▽浦上刑務支所の外観▽罪を犯して悔い改める部屋で、更生を促す「教誨堂(きょうかいどう)」▽建築費や竣工(しゅんこう)日などの建築概要-。写真下には、当時の名称で「長崎刑務所浦上支所」と記されている。
 長崎市被爆継承課の奥野正太郎学芸員(36)は、▽看守や受刑者が写っていない▽内装が新しく見える▽建築費や竣工日などの詳細が記されている▽脱獄防止などセキュリティー上の理由で一般的に内部の写真は表に出ない-ことを踏まえ、「竣工直後に刑務、法務関係者が記念として撮影し、絵はがきを作製したのでは」と考察する。
 市が刊行した「被爆建造物等の記録」によると、爆心地から約300メートルに位置する浦上刑務支所は、爆風と火災により一瞬にして全施設が全壊、全焼。収容者、職員ら計134人が犠牲になった。


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