東京五輪 水球男子代表 コップ晴紀イラリオ(時津出身) 五輪の感想、抱負語る

「選手村のクオリティーが高かったのもいい思い出」と語るコップ=長崎新聞社

 東京五輪水球男子日本代表で、センターバックとして活躍したコップ晴紀イラリオ(DSKドラゴンズ、西彼時津町出身)。1次リーグ最終戦で南アフリカを24-9で破り、37年ぶりの1勝に貢献した。大舞台に初めて挑んだ22歳に、自国五輪の感想や今後の抱負などを聞いた。

 -五輪の結果(1次リーグ1勝4敗で敗退)をどう受け止めている。
 悔しさはあるけど、五輪を無事に迎えられて楽しむことができたのは、すごく良かった。時津中3年時に東京五輪が決まって、漠然と頭にはあった。ずっと憧れていた舞台。楽しもうという気持ちが大きかった。

 -印象に残っている試合は。
 初戦の米国戦と3戦目のギリシャ戦。米国戦はチームとしても一番のターニングポイント。組み合わせが出た時点で、絶対に勝たないといけない試合になった。ここに懸けて練習してきたから、勝てなかったのは大きかった。ギリシャ戦は1点差で負けた。僕が最後の失点に絡んでいるので、もうちょっとうまくできることがあった。ただ、強豪のギリシャにあれだけ戦えた。いい意味でも、ちょっと悪い意味でも印象に残っている。
 
 -収穫と課題を。
 2016年のリオ五輪は全敗だったが、日本のスタイルが世界で浸透していなくて、猫だまし的に向こうがびっくりして戸惑っていい試合ができていた。それから5年たって、世界が日本のスタイルを知った上で接戦ができて、1勝を挙げられたのは収穫。課題は決定力不足。このスタイルで5年間やってきても勝てなかった。勝負どころで差が出るのは経験値の差。欧州はリーグが発展していて、年間の試合数は倍以上ぐらい違う。

 -五輪イヤーに日体大を卒業、IT企業の「電算システム」に入社。会社への思いは。
 先輩たちが水球を続けながら就職する際は、練習に集中させてもらう環境が多かった。僕は働きながら、水球をする道を選んだ。競技生活は人生で見たら短い間なので、仕事もしたいと思っていた。会社の理解もあって支えてもらえた。日本代表の合宿も全面的に行っておいでと送り出してくれた。感謝している。

 -五輪は自身にとってどんな舞台だったか。
 五輪だけを見るとすごく華やかな舞台。その裏には、そこに行くまでの過程があって、僕はものすごくしんどかった。練習のつらさや海外遠征で力の差を痛感して、気持ちの面、体の面も全部しんどくて…。1年延期になった時も「どうしよう」とナイーブな気持ちになった。それでも、どうにか選ばれて当日を迎えて、開会式で国立競技場の中に入った瞬間、それまでの気持ちが全部吹き飛んだ。「ここまでやっていて良かった」という思いになるぐらい、今までの国際大会とは違う特別な大会だった。

 -今後の目標を。
 代表の活動は一度離れて、競技を楽しみながら続けていこうと思っている。微力ながら、社会人水球の発展に貢献したい。正直、東京五輪が終わったらやめようと思っていたが、高校時代の恩師から引退はするなと言われた。水球が嫌いなわけじゃない。大学を卒業して、環境がないから水球をやれないという人も多いので、一緒にやらないかと誘っていきたい。また縁があったら、日本代表に戻る可能性もある。

 -地元への思いを。
 高校から埼玉に出て、大学も神奈川で、今は千葉に住んでいるが、長崎にも応援してくれる人がたくさんいるなと肌で感じた。世間の流れ的に五輪を本当にやっていいのかという流れがあった。その人たちの気持ちは分かるし、本当にやっていいのかなと思う中で、周りの人たちからの温かいメッセージがありがたかった。頑張ろうと思えた。感謝しかない。


© 株式会社長崎新聞社