「KKコンビ」を倒して全国制覇 岩倉OBのポニー指揮官が受け継ぐ“全員平等野球”とは?

羽田アンビシャスの監督を務める武島信幸氏【写真:川村虎大】

羽田アンビシャスの武島監督は1984年選抜Vを経験

昨年秋から、ポニーリーグ関東大会で3季連続決勝戦に進出し、ヤクルトのドラフト3位・柴田大地投手(日本通運)を輩出した東京・羽田アンビシャス。監督を務める武島信幸氏は岩倉高(東京)時代の1984年選抜高校野球大会決勝で、桑田真澄氏、清原和博氏らを擁するPL学園高(大阪)を1-0で破り、全国制覇を成し遂げている。現在は指導者としてポニーリーグの強豪チームを築き上げている。

1984年の選抜高校野球大会。初出場の岩倉高は決勝戦で、前年夏の甲子園に続く“夏春連覇”を目指すPL学園高を1-0で破った。その時、一塁を守り、決勝のホームを踏んだのが武島氏だった。

当時の高校野球で岩倉高は異色だった。先輩後輩の上下関係が緩く、チャンスも部員全員に平等に与えられた。「監督が朗らかな人でね。細かいことは何も言わなかった」。独自の練習も取り入れていた。冬にはジャズダンスの講師を招いてダンスとトレーニングで柔軟性を磨いたという。「あれは恥ずかしかった」と笑う。

同期には、阪神とヤクルトで野手としてプレーしたエースの山口重幸氏、日本ハムに12年在籍した森範行氏らがいた。レベルが高いのはわかっていたが、全国制覇できるとは考えてもいなかったという。「2つ上が荒木大輔さん(早実)、1つ下に桑田、清原でしょう? 別世界でしたよね。ただ、全員にチャンスがあるのがわかっていたから、とにかく自主練はしました」。自らの代になって一塁手のレギュラーを勝ち取った。

指導方針は“全員平等野球”、能力や年齢で区別しない

そこから岩倉高の快進撃が始まる。高2秋の東京都大会を制すると、明治神宮大会でも優勝。新チームになってから選抜大会を迎えるまで、練習試合も含めて敗戦は東北高(宮城)に敗れた1試合のみだった。

「当時も不思議でしたね。『あれ? 負けないなあ』みたいな」と振り返る。選抜でも、準々決勝で同年夏の甲子園で優勝を果たす取手二高(茨城)を4-3で下し、準決勝でも大船渡(岩手)に2-1でサヨナラ勝ち。決勝も桑田の前に打線は14奪三振と抑え込まれながらも、自身は2本の二塁打を放ち、8回裏に0-0の均衡を破る決勝のホームを踏んだ。

「運はあった」と話すが、今振り返ると環境が強くさせたとも思っている。全員がレギュラーになるチャンスがあり、必死になった環境がチームの力になった。

大学、社会人野球を経験したのち、地元・大田区に戻り、2004年に中学硬式野球チーム「羽田アンビシャス」を創設した。伝えているのは“全員平等野球”。練習メニューは皆同じ、能力や年齢で区別はしない。

練習時間は土日のみ。平日は個々に一任している。リエントリー(交代後の再出場)や複数チームの大会出場が可能なポニーリーグでは、試合出場のチャンスは多い。だからこそ、誰もが上を目指し努力するという。「平日に(自主練習を)やっているかどうかはわかります。やっぱりチャンスは自ら掴むものですから」。全国制覇の経験は着実に継承されている。(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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