SSK新造船休止「残念、寂しい」 OB会長・久野哲さん 下請け企業への影響懸念

SSKへの思いを語る久野会長=佐世保市内

 佐世保重工業(SSK)の最後の新造船となる中型ばら積み船が13日、船主に引き渡される。「これで最後だと思うと残念だし、寂しい」。同社のOB会で会長を務める久野哲(さとし)さん(74)=長崎県佐世保市権常寺町=は、造船業が盛んだったころを振り返り、主力事業を休止した会社の将来を憂えた。
 終戦翌年の1946年、SSKは旧海軍工廠(こうしょう)の施設を借り受け、佐世保船舶工業として設立した。62年には当時世界最大の13万トン級タンカー「日章丸」を完成させるなど、世界に誇る技術力で地域経済をけん引。久野さんは「世界一の船を造った会社だということはみんな知っていた。SSKのバッジを付けた大人は憧れの存在だった」と振り返る。
 68年に入社。造船部に配属され、大型タンカーなどの建造に携わった。現在、社員数は千人に満たないが、入社当時は社員だけで7千人近く、下請け企業の従業員も含めると構内で1万人以上が働いていたという。「当時は経営状況も非常によかった。入社して4、5年目の夏のボーナスが、国鉄で30年ぐらい働いている父と同じくらいだった」
 仕事は過酷だった。夏場は鉄板が熱くなり、タンクの中で切断や溶接の作業をすると汗が噴き出した。職場の風呂に入ってから帰るのが日課。風呂場は従業員でごった返し「毎日芋を洗うようだった」。そんな忙しい日々も、自分たちが造った船が世界の海で活躍すると思えば、乗り越えることができた。
 経営は時代の波に翻弄(ほんろう)され、浮き沈みを繰り返した。特に印象に残っているのは73年の第1次オイルショック。石油輸送需要が低迷して経営危機に陥り、賃金カットなどの合理化策を提示する会社と労働組合が激しく対立した。その後も数々の困難に直面したが「それでも今と比べれば、いい時代だった」。
 造船は裾野が広く、これまで雇用創出などに貢献してきた。その一方で、今回の事業休止が地域経済に与えるダメージは計り知れず「下請け企業にどれだけ影響が広がるか」と懸念。中国・韓国の台頭で国内の造船業界が苦戦している現状を憂い「国にもっと支援をしてほしい」と願う。
 「この難局を乗り越えて、いつかまた、SSKで船を造れるようにならないだろうか」。難しいとは分かっているけどね、と久野さんは寂しそうに語った。


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