走り去った列車たち #6 EF62

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こんにちは!! 鉄道博士だよ!!

今回は、国鉄EF62形電気機関車を取り上げます。EF62は、国鉄の最急勾配区間であった信越本線の碓氷峠を通過する列車の牽引用に開発された直流電気機関車です。急勾配区間を含む、信越本線の前後区間を直通できる本務機関車として開発されたのが本形式です。碓氷峠区間のアプト式から粘着運転への移行に伴い、1962年に試作車(EF62-1)が製造されました。

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外観上の大きな特徴は、3軸ボギー台車を採用し、Co-Co軸配置となっていることです。1960年代以降の国鉄の電気機関車としては異例の軸配置です。これは、台車を軽量化するためであり、軸重は16トンに収まっています。

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登場当初は、信越本線の貨物列車、客車列車の牽引に充当されました。1984年2月のダイヤ改正では、碓氷峠を越える貨物列車は廃止され、EF62が信越本線内で貨物列車を牽引することはなくなりました。国鉄末期には、東海道・山陽本線の荷物列車牽引用に転用されましたが、1986年11月のダイヤ改正で荷物列車が全廃され、多くのEF62が国鉄分割民営化までに廃車されました。

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国鉄分割民営化時には、わずか6輌のEF62がJR東日本に継承されました。定期運用は、夜行急行「能登」と、黒井ー二本木間の貨物列車の牽引だけでした。「能登」と貨物列車の定期運用は、1993年3月のダイヤ改正で「能登」が電車化されたことにより消滅し、2輌のEF62が廃車されました。定期運用を失った後は、波動輸送専用となりました。多客期には、12系や14系などが充当された臨時急行が信越本線で運転されていましたので、私は貴重なEF62牽引の客車列車を追いかけていました。

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上の写真は、12系和式客車「やすらぎ」を牽引するEF62の写真です。前の2輌は、碓氷峠専用の補機 EF63です。

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もちろん、マヤ34の牽引にも、EF62が充当されました。

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信越本線 横川ー軽井沢間が廃止となった後、EF63の廃車回送列車が走りましたが、この列車の牽引に充当されたのもEF62です。上の写真は、横川駅で発車を待つ廃車回送列車です。前後にEF62が1輌ずつ連結され、4輌のEF63を挟んでいました。

19971003 EF63廃車回送 西松井田ー横川 P:鉄道博士

19971004 EF63廃車回送 高崎ー北高崎 P:鉄道博士

19971004 EF63廃車回送 高崎ー井野 P:鉄道博士

EF62は、碓氷峠区間の廃止後、上越線のイベント列車の牽引に充当されたりしましたが、1999年1月に廃形式となりました。

現在では、碓氷峠鉄道文化むらで、1号機と54号機が静態保存されており、54号機の運転台に入ることができます。末長く保存していただきたいと思います。

鉄道は最高のエンターテイメント❤️

【著者】鉄道博士 / Dr. Railway

生後2ヶ月より、鉄道を眺め始め、列車の音が、子守唄代わりになる。 3歳で、交通博物館(鉄道博物館の前身)のリピーターとなる。保育園に登園前の早朝から、最寄駅に年200回ペースで通い始める。 5歳で、鉄道に関するニュースが読みたい欲で、毎日、複数の新聞を読むようになる。小学校入学までには、ほとんどの漢字を読めるようになる。 小学校の入学祝いに「国鉄監修 交通公社の時刻表(現 JTB時刻表)」を買ってもらい、全ページ読破し、旅行の計画を立てるようになる。 10歳で、一眼レフでの鉄道写真撮影をスタート。学生時代は、鉄道の写真をひたすら撮る生活を送り、塾等も行かず、法政大学へ入学。 その後も、企業の取締役、海外との業務提携等の仕事をしながら、鉄道写真を撮り続け、鉄道誌に寄稿を続ける。 1949年以降の日本の車輌であれば、数百種類の車輌の解説が可能。それぞれの特徴や魅力も含めて何でも楽しく解説する姿から”鉄道博士”と呼ばれるように。

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