走り去った列車たち #3 しなの鉄道169系

20130127 169系 軽井沢-中軽井沢 P:鉄道博士

こんにちは!! 鉄道博士だよ!!

今年(2022年)9月30日、信越本線 横川ー軽井沢間が、北陸新幹線長野開業に伴って廃止されてから、25年を迎えます。1997年10月1日に開業した北陸新幹線 高崎ー長野間は、初めての整備新幹線の開業でした。並行在来線の一部区間廃止・バス転換、新設された第三セクター鉄道への経営移管が行われ、沿線住民や利用客などに大きな影響を与えました。

北陸新幹線長野開業と同時に開業したのが、旧信越本線 軽井沢ー篠ノ井間をJR東日本から経営移管された、しなの鉄道(しなの鉄道線)です。JR東日本から引き継いだ電車は、3つ扉の115系電車と、2つ扉の169系電車でした。後者は、かつて、急行列車に使用されていた車両です。末尾「9」なので、189系、489系同様に、碓氷峠でEF63と協調運転を行い、かつては最長12輛編成で走っていました。いずれも、赤とガンメタリックを基調にした「しなの鉄道色」に塗り替えられ、国鉄時代、JR時代の面影は薄れていました。

しかし、しなの鉄道の粋な計らいにより、169系は晩年、国鉄時代の湘南色に戻されました。「JRマーク」がないので、本当に国鉄時代の急行列車のように見えました。

2013年4月29日のラストランまで、S51編成とS52編成の3輛編成2本が活躍しました。

20130127 169系 御代田ー平原 P:鉄道博士

20130206 169系 軽井沢 P:鉄道博士

20130429 169系 信濃追分 P:鉄道博士

169系ラストランの後、S51編成は、坂城町に譲渡され、坂城駅横で静態保存されています。

20180818 169系S51編成 坂城 P:鉄道博士

上の写真のように、115系コカ・コーラ色と169系S51編成の並びを見ることができました。

20170911 クモハ169-6 軽井沢 P:鉄道博士

一方、S52編成は、長野総合車両センターでモハとクハが解体され、クモハ169-6だけ軽井沢駅で静態保存されていました。

2018年3月、しなの鉄道 軽井沢駅に「森の小リスキッズステーション in 軽井沢」がオープンした際、クモハ169-6は黄色に塗り替えられ、「イエローキッズでんしゃ」となりました。車内の座席は撤去され、プラレールが敷かれていました。

20210116 クモハ169-6「イエローキッズでんしゃ」 軽井沢 P:鉄道博士

しかし、この試みは3年余りで頓挫します。2021年、「イエローキッズでんしゃ」となったクモハ169-6は、解体のため、陸路で搬送されてしまいました。水戸岡デザインにするより、ラストラン時の湘南色そのままで軽井沢駅で静態保存してほしかったのは、私だけではないと思います。

鉄道は最高のエンターテイメント❤️

【著者】鉄道博士 / Dr. Railway

生後2ヶ月より、鉄道を眺め始め、列車の音が、子守唄代わりになる。 3歳で、交通博物館(鉄道博物館の前身)のリピーターとなる。保育園に登園前の早朝から、最寄駅に年200回ペースで通い始める。 5歳で、鉄道に関するニュースが読みたい欲で、毎日、複数の新聞を読むようになる。小学校入学までには、ほとんどの漢字を読めるようになる。 小学校の入学祝いに「国鉄監修 交通公社の時刻表(現 JTB時刻表)」を買ってもらい、全ページ読破し、旅行の計画を立てるようになる。 10歳で、一眼レフでの鉄道写真撮影をスタート。学生時代は、鉄道の写真をひたすら撮る生活を送り、塾等も行かず、法政大学へ入学。 その後も、企業の取締役、海外との業務提携等の仕事をしながら、鉄道写真を撮り続け、鉄道誌に寄稿を続ける。 1949年以降の日本の車輌であれば、数百種類の車輌の解説が可能。それぞれの特徴や魅力も含めて何でも楽しく解説する姿から”鉄道博士”と呼ばれるように。

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