なぜ取材プロセスを可視化するのか? 「権力監視型の調査報道とは」【6】

権力監視型の調査報道とは何か。どう進めたらいいのか、どんなハードルがあるのか。それに答える連載の最終回。6年前余り前の講演を再構成・加筆したのものだが、権力チェックを志向する取材記者にとって、今でも十分に役立つはずだ。(フロントラインプレス代表・高田昌幸)

◆調査報道における客観報道をどうするのか?

質問 先ほども質問にありましたけれども、「中立」が多分あり得ないな、というのはわかる。けれども、では、客観性、客観報道をどうするのか。

高田 客観性というのは、単純な主語の問題じゃないんですよね。「私は」で書くから主観的だとか、「政府は」と書くから客観的だとか、そういうことではない。正確に取材源をどこまで明示できるか。それが客観性の担保だと思います。調査報道であれ、なんであれ、です。

ことし高知新聞で力を入れて若い記者にやってもらった戦争の掘り起こし記事がありました。「秋(とき)のしずく」というキャンペーン連載です。読んでみるとわかるんですけれども、こうした記事には引用先が明示されている。調査報道の記事もそうなんです。どういう取材をしたか、それが見える。もちろん、情報源の秘匿はきっちりやっている。それと引用先の明示を区別してやることが大切だと思っています。

客観性で重要なのは、実は引用先の明示と同時に、可能な限りは取材源を明示することなんですね。それを明示できないときは、「複数の関係者によると」とか書きますけれど、本当はよくない。関係者という用語はよくない。

特に調査報道の場合、記事の筋立てを記事に沿って第三者が検証できるようにしておくこと、そういう書き方をすることが大事なのではないか。そう思っています。

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◆取材のプロセスを見せることが重要

高田 話は飛びますけれども、私は、調査報道だけではなく、これからの報道で一番大事なことのひとつは、取材のプロセスを読者に見せることだと思っています。いままでは、何か神様のように、上の方からニュースがおりてきて、それが客観中立であるかのように書いていた。例えば「政府は何日○○○○の方針を固めた」という書き方が何となく客観中立であるかのようなイメージとイコールになっていたのではないか。

では、「政府が何日、○○○○の方針を固めた」という記事について、その取材のプロセスを明らかにすれば、どうなってしまうか。私は東京で官邸取材をしたこともあるので、分かるのですが、イメージとしてはこうです。

「首相官邸の××××秘書官は、何日夜、首相官邸の番記者5人を集めて、赤坂のイタメシ屋でワインを振る舞いながら、『これこれのやつはもう君らは書いていいよ』と述べた。この会合の会費は1人5,000円だった」とか。で、「記者は全員、その話を承ったものの、質問はしなかった」とか。それが取材のプロセスじゃないですか。こうやって取材のプロセスを明示していくと、この記事は客観中立というよりも、政府要人の言い分を一方的に伝えている記事だな、ということが見えてしまう。取材はすべて、コミュニケーションの結果なんですね。そのコミュニケーションそのものを見せていく。

身も蓋もないかもしれないですけれども、そのプロセスをきちんと開示して、きちんと見せる。そのプロセスも含めて信頼性を得ることが大事なんじゃないかと思っています。記事の品質が本当に確かなら、取材プロセスも確かなはずです。それを見せることが、客観性の担保じゃないか、と。

調査報道のために集めた資料

◆内部告発者を徹底して守る。取材プロセスを可視化する。その両立を

高田 それなのに現状は、「朝日の看板の下にぶら下がっている記事だから信用しろ」とか、「高知新聞だから信用しろ」とか、そういう感じです。ただ、そういうふうに思っているのは、報道機関側だけであって、市民はもう、そんなブランドだけで記事の良し悪しを判断なんかしていません。もちろん、今でも大手メディアのブランド力はあるし、もっとブランド力を高めなければいけないんだけれども、取材・報道の構造やプロセスが読者に見えなければ、戦前と同じだと僕は思っているんです。

「多くのメディアが報道している」から、「多くの権威あるメディアが報道している」から、だからみんな、信用しちゃった。大本営を信用しちゃった。あれは大本営を信用したのではなくて、大本営を報じるメディアのブランドを信用したんだ、と僕は思っているんです。

それと同じ構造を現代においても、読者との間で築いていいのか。では、それに関して何ができるのかといったら、取材のプロセスを極力明らかにする。そのかわり、内部告発的な人は徹底的に守る。「政府は何日、○○○○の方針を固めた」という記事はやめて、「菅官房長官は何日夜、官房長官の番記者5人を相手に、『もうおまえら書いていいぞ』と述べた」という形の記事を出す。「書いていいぞ」と官房長官が言った、それがコミュニケーションです。必要なのは、そんな記事だと思う。これだと思う。それを読者がどう受けとめるかですよ。

冗談じゃなくて、僕は本当にそう思っている。

◆調査報道と取材プロセスの可視化

高田  調査報道が比較的価値あるかのように読まれる理由の1つは(調査報道の記事では、全てじゃないですけれども)、何となく取材のプロセスが見えるからなんですよ。開示請求をしてこういう資料が出てきたとか、取材のプロセスが見えるじゃないですか。単純に「毎日新聞の取材でわかった」だけではなくて、「読売新聞が何日、これこれの開示請求をして得た資料によると」とか書いてあるんじゃないですか。それはプロセスが少し見えているんですよ。それをもっと見せてやることです。

事件報道でそれをやってみたらどうかと思って、以前、頭の体操をやっていたことがあります。「札幌中央署は何日、××××容疑者を逮捕したと発表した。広報担当の山田太郎副署長によると、逮捕容疑は△△△△△した疑い。でも、北海道新聞は、警察サイド以外にこの事実を裏づける情報は持っていない」。発表どおり書きました、と書いちゃうわけです。だって、それが実際の取材のプロセスだったら、そう書くのが正しい。

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さっきも言いましたが、本当は「関係者」という語句を用いて記事をつくるのは、内部告発的な人を別にして、基本的にだめだと思います。読者には「関係者」って誰なのか、わからないです。だから、「関係者」がなぜ匿名を希望しているかをどこかに書いておく。外国のメディアなどはそうじゃないですか。なぜ彼は匿名を希望しているかをちゃんと書く、それが必要だと思うんですね。本分中に書きにくかったら、原稿の末尾の注釈でもいいかもしれない。書ける範囲で、関係者がどういう立場の人かをちゃんと書いていなければいけない。

「関係者」って誰なんだ、というのを突き詰めて表現していないから、取材も甘くなるんですよ。「ああ、じゃあ関係者、にしておきますか」みたいな。そんなことを続けていると、甘い取材が横行し、結果として取材力の劣化は続くだろうと思います。

=終わり

<第1回>調査報道は端緒がすべて それを実例から見る 「権力監視型の調査報道とは」
<第2回>「まず記録の入手を 誰がその重要資料を持っているのか?」
<第3回>「“ネタ元”ゼロで始まる深掘り取材 そのときに武器となるのは?」

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