「検証」みずほ銀行だけシステム障害が多発するのはなぜか 金融庁による行員千人規模アンケートで分かった根深い企業風土

みずほ銀行の本店が入る建物=2022年2月、東京都千代田区

 昨年2月から計11回のシステム障害が表面化したみずほ銀行。2002年のみずほ銀発足初日、11年の東日本大震災直後に起こした2回の大規模障害を受けて再発防止を誓ったはずが、名門の威信はまたも傷ついた。金融庁は異例の長期に及んだ検査で、みずほだけで障害が多発する理由を千人超の行員へのアンケートなどを通じて詳細に分析。浮かび上がったのは、日本興業(興銀)、富士、第一勧業の旧3行が合流した20年前から醸成されてきた「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」という企業風土だった。金融庁検査の最中にも、親会社のみずほフィナンシャルグループ(FG)は組織防衛に走ったが、最後はグループ3首脳の退任に追い込まれた。みずほの1年近くに及ぶ迷走を検証した。(共同通信=李洋一、内堀康一)

 ▽「旧行意識」が今も影響?

 21年2月28日昼、東京都港区。日曜日のオフィス街に人けはなかった。出勤した会社員の男性(50)は、職場近くにあるみずほ銀の現金自動預払機(ATM)にキャッシュカードを挿し入れた。出金額を入力すると、画面には「お取り扱いできなくなりました」の文字。ATMは動かなくなり、備え付けの電話もつながらない。男性は無人のATMコーナーで途方に暮れた。

 同じようなことが全国津々浦々で起きていた。みずほが実態把握にてこずる中、ツイッターには「カードだけでも早く返してください」「被害者である私たちがほかの来店客に事情説明して帰ってもらってるっていう意味不明な状況」という利用者の投稿が相次いだ。

みずほ銀行渋谷支店で、ATMの障害を知らせる張り紙を見る利用者=2021年2月28日午後、東京都渋谷区

 この日、カードや通帳がATMに取り込まれたケースは5244件。カードを取り込まれたという利用者は憤る。「銀行から何の連絡もなかった。翌日にコールセンターに連絡し、支店までカードを取りに行った」

 3月にも3回の障害を起こし、経営責任問題に直面した。金融庁は検査に乗りだし、みずほの病巣を探った。

 検査官は経営幹部への聞き取りや千人を超える行員へのアンケートを実施。社内からにじみ出てきたのが「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」という企業風土だった。

 この企業風土はどのようにして形作られたのか。興銀と富士、第一勧業の旧3行の主導権争いに端を発するという見方が有力だ。金融庁幹部は「統合当時、出身行と異なる旧行に口出しすると大問題になった。これで互いに干渉しない文化が定着した」と問題の根深さを嘆く。

 この「旧行意識」は、これまでも不祥事が起きるたびに問題視されてきた。

 

利用客にATM障害を知らせる案内が張り出された「みずほ銀行北浜支店」=02年4月1日、大阪市中央区

 3行が合流してみずほ銀が発足した初日の02年4月1日、約250万件の口座振替などで遅れや誤処理が生じる障害が起きた。みずほホールディングス(現みずほFG)の前田晃伸社長(77)は「テストが不完全だったにもかかわらず、経営陣に適切な情報が上がっていなかった」と釈明。3行のシステムをどう再編するかを巡って旧行のにらみ合いがあり、調整が遅れたとされる。

 東日本大震災直後の11年3月には2回目の大規模障害が起き、13年には暴力団不正融資問題が発覚した。金融庁はそれぞれの不祥事の都度、業務改善命令を出し「グループの一体感のなさが根底にある」と批判し続けてきた。

 ▽社外取締役の権限強化と改革推進

 みずほも生まれ変わるための努力をしてこなかったわけではない。改革の象徴が、14年から18年まで社長を務めた佐藤康博会長(69)が主導した、社外取締役による経営への監督強化だ。

 14年6月、みずほは社外取締役が強い権限を持つ「委員会設置会社(現指名委員会等設置会社)」に移行した。同時に元経済財政担当相の大田弘子氏(68)が取締役会議長に就任し、役員人事を決める指名委員会のメンバー全員を社外取締役にした。

 佐藤氏は一体感醸成に向けたグループ再編に加え、課題となっていた収益力の向上にも着手した。発足時は「世界の五指に入る強力なプレーヤーとなる」という高い目標を掲げたものの、みずほは三菱UFJフィナンシャル・グループ、三井住友フィナンシャルグループの後塵を拝していた。

暴力団融資問題で金融庁から一部業務停止命令を受け、記者会見するみずほFGの佐藤康博社長(当時)=13年12月26日午後、東京都中央区

 佐藤氏は高コスト体質の改善に向けて人員削減や拠点の統廃合を決定。「OBや出身行などのしがらみを気にしない」(OB)とされる坂井辰史氏(62)が18年4月に社長を引き継ぎ、「構造改革」を推し進めた。

 坂井氏は合理化の徹底で純利益を拡大させ、海外展開やデジタル分野強化のための投資余力が高まった。通信アプリのLINE(ライン)と22年度中に共同でインターネット銀行を開業する予定で、新たな成長に向けた種まきにも取り組んだ。「2位の三井住友の背中が見えてきた」(幹部)との声も上がる中、システムの暴走が昨年2月に始まった。

 ▽水面下の攻防

 みずほは当初、グループを率いて「種まき」に取り組んできた坂井氏を温存し、藤原弘治頭取(60)の辞任で問題を収拾させる腹づもりだった。社内には「やっと刈り取りの時期が来るのに、途中で辞めさせるのは惜しい」(幹部)と坂井体制の継続を望む声が強かった。

 みずほは坂井氏を必死にかばう。検査を続ける金融庁の担当者には、みずほの役員があるグラフを見せた。業績拡大を示す内容で、坂井氏の経営手腕を暗に伝える意図があった。しかし、担当者は突き放す。「あなた方は免許業種です。業績を追求するだけなら、一般の事業会社になればいい」

システム障害の発生を受けて記者会見するみずほフィナンシャルグループの坂井辰史前社長(左)と、みずほ銀行の藤原弘治頭取=21年8月20日午後、東京都千代田区

 坂井氏の立場を決定的にしたのは、全国の店舗窓口で出入金などの取引が停止した昨年8月の障害だ。「夜に起きた障害を翌朝までに復旧できないというのはどういうことなのか」「坂井氏が進めてきた人員削減などの影響が如実に出た」。金融庁からは不満の声が噴出し、シナリオは崩壊した。みずほは経営陣を刷新して再出発する方向に頭を切り替えていく。

 ▽障害ゼロは不可能に近い

 これ以上障害を繰り返させるわけにはいかない―。金融庁は昨年9月に「止血」の意味を込めた1度目の業務改善命令を出した。

 ただ、金融庁は「障害を二度と起こすな」という物言いは意図的に避けてきた。他のメガバンクに比べてみずほで障害が多く発生したのは事実だが、国内の金融機関では年間1500件ものシステム障害が起きている。これをゼロにすることは不可能に近い。障害の発生頻度を「他行並み」に減らしてほしいと願う一方で、金融機関がシステム更改に及び腰になり、技術革新のスピードを鈍らせることは避けたかった。

みずほ銀行のシステム障害について、記者会見で頭を下げる西堀利頭取(当時、右から2人目)ら=11年3月17日、日銀本店

 みずほのシステムは11年の障害を受けて刷新した最新型だ。シンプルでメンテナンスもしやすく、金融とITを融合させた「フィンテック」関連企業との連携も容易だとみられていた。金融庁のある幹部は「みずほはシステムを使いこなせていないが、チャレンジ自体を否定すべきではない。電話とファクスを使えば障害は1件も起きないだろうが、それでは金融機関にイノベーションは生まれない」と強調した。

 ▽あえて避けた「役所言葉」

 昨年3月から検査を続けてきた金融庁は同11月、2度目の業務改善命令を出した。その中でみずほの問題点として「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」という企業風土をそのまま書き込んでいる。行政文書で使われる「役所言葉」ではない文言を使った意図を、金融庁幹部はこう説明した。「堅苦しい表現に変えると問題の核心がぼやけてしまう」

 システム障害が続く理由については、構造改革でシステム安定稼働のための人員や維持費が削られたことが背景にあると分析した。過去の不祥事を受けて改善したはずの社内のコミュニケーションは依然として不十分で、経営陣はIT現場の実態を把握できていなかったと結論づけた。

 みずほFGの取締役会議長を務める小林いずみ社外取締役(63)は今年1月17日の記者会見で、坂井氏の社長就任以降の業績改善に触れた後、「そうした状況下で潜在的なリスクを捉えるための意識、行動にある種の甘さが出ていた」と悔やんだ。

みずほ銀行のATMコーナーの入り口で、システム障害の張り紙を見る男性=11年3月18日、東京・新橋

 ▽新社長は官房副長官の実兄

 一連の障害は、社内も大きく混乱させた。

 「経営陣との距離を感じる」「謝罪ばかりで、取引先からも同情される」―。昨年11月2日に行われた坂井氏と行員のオンライン対話では、若手などから不満の声が噴出した。坂井氏は「苦労をかけた」と語りかけたが、求心力の低下は隠しようがなかった。坂井氏と佐藤氏、みずほ銀頭取の藤原氏というグループ3首脳の退任が発表されたのは、この対話からわずか3週間余り後だった。

 みずほFGは今年2月、メガバンク社長で初の平成入行となる木原正裕社長(56)の下で再出発した。

 木原氏は、新社長としてのお披露目の場となった1月17日の記者会見で、システムの安定稼働を最優先課題に位置付けて「みずほにとって正念場で、強い信念と覚悟を持って臨む」と強調した。

 ただ、システムは2月11日にも障害を起こしたばかりで、依然として不安定な状況が続く。11年の障害を受けて全面刷新したシステムは、旧3行のそれぞれと関係が深いメーカーを含む4社が開発の中心を担った。結果として「基本ソフト(OS)が異なる複数の基盤システムからなる複雑な構造」(静岡大の遠藤正之教授)になり、運用が難しくなった。みずほは最近になってシステム関連部門の人員を増やしたが、運用の習熟には時間を要する見通しだ。

みずほ銀行の本店が入る建物=22年2月

 新しいグループ3首脳は、みずほFG社長の木原氏が興銀出身、次期会長の今井誠司副社長(59)が第一勧業出身、次期みずほ銀頭取の加藤勝彦副頭取(56)が富士出身で、旧3行がポストを分け合う形となった。指名委員会の委員長を務める甲斐中辰夫社外取締役(82)は1月17日の記者会見で「ふさわしい人を冷静に考えた」と説明したものの、バランス人事との臆測も呼んだ。

 木原氏が木原誠二官房副長官の実兄であることも話題になった。甲斐中氏は「(社長の人選に当たって)弟が政治家であることは全く考慮していない」と理解を求めたが、金融庁のある幹部は「それだけで社長を選んだのではないだろうが、うちの矛先は鈍る」と漏らし、人選には組織防衛の狙いもあったとみる。別の幹部は「もし組織防衛を狙ったなら逆効果。検査部隊は燃えるでしょうね」と厳しい表情で言った。

 一方、監督官庁である金融庁には、みずほに「言うべきこと」を言ってきたかという点も問われる。

 金融庁は障害が頻発する前、みずほが経営合理化のためシステム関連部門の人員を減らしたり、システムに疎い幹部を最高情報責任者(CIO)に置いたりする人事を見過ごしてきた。障害が起きていない中でみずほの決定を覆すのは現実的でなかったにせよ、監督に甘さがあったとの反省は庁内にくすぶる。「障害が他のメガバンクと同程度に減らなければ、当局の責任が問われる。その責任から逃げるつもりはないし、だからこそかなり厳しい処分を出した」。ある幹部はこう気持ちを引き締めた。

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