長崎県知事 交代12年ぶり<中> 知名度アップ “無関心層”を動かす

当選確実となり支援者や報道陣に囲まれる大石氏(中央)=20日午後11時32分、長崎市茂里町、県医師会館

 昨年12月21日、長崎県庁。大石賢吾氏(39)は大勢の報道陣を前に1人出馬会見に臨んでいた。「愛する古里長崎のために…私が持つすべてをかけて…全力をかけて…力を尽くしてまいりたい」。緊張からか言葉をかみながらここまで述べた後、「すみません。もう1回最初からやっていいですか。慣れないもので…」。報道陣から笑いが起こった。
 約1週間後、大石氏の推薦決定を巡り自民党県連の会合は紛糾。執行部が押し切ったが、現職中村法道氏(71)の推薦を求めた党員から怒号が飛び交い、「自民分裂」が確実となった。
 一方、大石氏は大みそかの深夜、居住する大村市の神社で参拝客にあいさつ。もちつきにもスーツ姿で飛び入り参加し、党内のごたごたとは無縁のようだった。だが知名度が圧倒的に不足していた。
 県連執行部は短期決戦に備え在京の選挙コンサルタントを招聘(しょうへい)。大石氏の「若さ」に加え、女性県議の江真奈美氏を広告塔として選対本部長に据え、イメージアップを図る戦略に出た。コロナ禍で個人演説会はできない代わりに会員制交流サイト(SNS)を積極活用。中村氏を多数の団体が推薦する中、組織への帰属意識が薄い人たちが多い長崎、佐世保など都市部に照準を絞り、「空中戦」で浮動票を取り込む狙いだった。だが告示前は手応えがなく、陣営からは「風が吹かんかのう」(県議)とぼやきも漏れた。
 告示日の2月3日。長崎市中心部で第一声を上げた大石氏は歩いてアーケードそばの国道に現れた。「ここに車が来るはずなんですけど…」。通行人とグータッチを交わし、選挙カー到着後マイクを握ったが、「新人にありがちな」(県連幹部)いくつものテーマを早口でまくしたてる演説だった。だが「周囲のアドバイスを受けて数日で驚くほど良くなった」(選対関係者)。遊説先では必ず県のコロナ対策を批判し、佐世保では県北の発展を、離島では農林水産業の振興を、と各地で内容を使い分けた。
 次第に有権者の反応も感じられるようになり、選対は毎週末の電話調査の結果を見ながら選挙カーの行程を組み直した。SNSに返信が届いた有権者と「友達」になり、お礼のメッセージを一件一件送った。内輪もめのイメージを持たれないよう応援弁士も「自民分裂」には触れないなど、マイナス面を一つずつつぶしていった。大石氏を推薦した医療系団体は病院訪問や電話作戦といった地道な作業を続けた。
 昨年秋の衆院選で躍進した日本維新の会の推薦は、大石氏が訴える「新しい長崎県」への「改革」のイメージを発信する狙いがあったが、最終盤はできるだけ政党色を消した。所属していた県立長崎北高ラグビー部のOBらが伝統の横じまジャージーを着て街頭に立った。選対関係者は「中村氏を支援する各政党の県議の顔が並んだ新聞折り込みチラシを見て、大石は政党本位ではなく県民本位なんだと訴えたかった」と明かす。本紙の投票所出口調査でも大石氏は30、40代で中村氏を大きく上回り、ある県議は「普段は政治に関心がない層が動いた」とみる。
 最終日の19日。長崎市中心部のアーケードを練り歩く大石氏には、通行人から激励の言葉が相次いだ。知名度は格段に高まっていた。


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