“防空壕跡”のかまぼこ店 3月末閉店 佐世保・本田蒲鉾店「夫婦でここまでこられた」

「2人で必死にここまで走り抜けてきた」と話す富男さん(右)と容子さん=佐世保市、本田蒲鉾店

 長崎県佐世保市の戸尾市場の一角にある本田蒲鉾店が、今月末に閉店する。防空壕(ごう)跡の工場でかまぼこや天ぷらを作ることで知られる創業約100年の老舗店。二人三脚で店を切り盛りしてきた3代目の本田富男さん(68)と妻の容子さん(69)は「これ以上ないくらい充実した約50年だった。悔いはない」とさっぱりとした表情を見せた。
 富男さんの祖父、龍男さんが1920年頃、開業。当時工場は少し離れた場所にあり、工場から自転車で販売所である現在の店に運んでいた。60年頃に市から店の裏にあった防空壕を活用しないかとの声が掛かった。工場と店が同じ場所にあれば熱々の商品を食べてもらえる。通路を広げるなどして工場を構えた。
 工場を移した頃は高度経済成長期の真っただ中で「何でも売れる時代だった」。戸尾市場には魚屋や八百屋などが並び、「佐世保の台所」として多くの市民を満たした。同店にも揚げたての天ぷらを買い求め多くの客が訪れ、80年代には1日千人前を用意するほどの盛況ぶり。従業員を20人抱える大所帯となった。
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 そんな最盛期の少し前の75年に富男さんと容子さんは結婚。90年頃、2代目の父、武男さんから店を引き継いだ。製造方法は初代のころから変えていない。「うまいかまぼこを作る」ため、伝統を守ってきたのだ。大型商業施設の進出などにより市場の客足は減ったが、「天ぷらはここでしか買えない」と常連客は足を運ぶことを止めなかった。変わらない味を届けるため「いつも通り作り続けてきただけ」と富男さんは静かに語る。
 容子さんは早朝5時に起き、6時45分には店のシャッターを開ける。午後2時半に全9種の天ぷらがそろうよう午前8時から揚げ始め、店を閉める午後6時までひっきりなしに客が来る。「次の仕事を考えて段取りよくせんとさばけん」と言う。家に帰ると家事に追われ、寝るのは深夜0時を過ぎる。嫁いでからずっとこんな生活を続けてきた。
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 定休日は設けていなかったが、富男さんが体調を崩したこともあり5年前から日曜は休むことにした。幕引きを考え始めたのもこの時期。容子さんも度重なる病気に負けず体にむちを打ちながらやってきたが限界を感じた。後継者も居ないため、「夫婦元気なうちに終わらせよう」と昨年夏に閉店を決めた。
 「体に染み付いた日常、毎日重ねていた日常が変わることへの寂しさがある」と言いながらも「気持ち的には楽になった」と容子さん。「大変な時もたくさんあったけど、夫婦互いの存在があったから、ここまでこられた」と続けた。富男さんは「18歳から働いてちょうど50年。あっという間だった」と振り返る。これまで散歩をする時間すらないほど仕事に追われてきた2人。閉店後には、まだ見たことがない新西海橋を訪れる約束をしているそうだ。
 客とのたわいない会話、店の前を通る小学生と交わすあいさつ、おしゃべりにやって来る近隣の店の友人たち-。老舗が育くんできた情景が、また一つ静かに姿を消していく。

防空壕跡を活用して作られた工場=佐世保市、本田蒲鉾店

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