ふじみ野市立てこもり事件、在宅医療に命を懸けた医師はなぜ射殺されたのか(後編) 医療現場の暴力を防ぐには

昨年12月17日、放火殺人事件が起きた雑居ビル前でストレッチャーを運ぶ消防隊員ら=大阪・北新地

 埼玉県ふじみ野市で訪問診療医が犠牲になった立てこもり事件。医療従事者の安全を守り、適切な医療を続けていくために、私たちはどうすればいいのか。2021年12月には大阪・北新地のビル放火事件で医師を含む25人が亡くなったばかりだ。専門家は学術的な実態調査と医療機関向け相談窓口の開設を提言する。(共同通信=須田浄)

(前編はこちら)

 https://nordot.app/872022294289481728?c=39546741839462401

 ▽男の音声を入手

 

渡辺宏容疑者=2月20日

 共同通信は、事件当日の1月27日、渡辺容疑者の母親が数年前に利用し、料金を滞納していた介護事業所に渡辺容疑者とみられる男が電話した際の音声を入手した。電話は複数回あり、「渡辺」を名乗る男は、当初「母が死んでけじめをつけたい。払っていないお金を精算したい」と落ち着いて話していたが、次第に怒鳴るような口調になっていった。

 「こっちはちゃんと来てくんないと払えないよ。あんなはした金さあ、集金来ないね、あんたらが悪いんだから。まず自分の対応を謝ってから、『集金行きたいんだけど』、あるいは『してくれ』と。だからいいよ、お前みたいな馬鹿と話したってしょうがねえんだよ、もう。だから線香も上げて来いっていうの」(実際の音声より。音声はこちら)https://twitter.com/kyodo_official/status/1505715216977633281

 電話を受けた担当者は以前にも渡辺容疑者とやりとりした経験があり、危険を感じて渡辺容疑者の自宅には足を運ばなかった。「鈴木先生も危険を感じていたかもしれない。ナイフぐらいならどうにかなるかもしれないが、まさか銃とは思わない」

 渡辺容疑者は警察の調べに「母が死んでしまい、この先良いことがないと思った。自殺しようと思い、自分一人ではなく先生やクリニックの人を殺そうと考えていた」と供述。ただ、自身が自殺しようとした形跡は確認されていない。理学療法士の男性に対する殺人未遂容疑で2月18日に再逮捕された際は「殺すつもりはなかった」と容疑を否認した。

 ▽医療現場の暴言、暴力、ハラスメント

 

 医療現場で暴力はどの程度起きているのか。「全国訪問看護事業協会」が2018年に実施し、訪問看護師3245人が回答した調査では、これまで利用者や家族から身体的暴力を受けた人は45%に上る。※1

 18年版過労死等防止対策白書でも、看護師が暴言や暴力を受けて労災認定された事例が多数報告されており、厚生労働省の17年度の調査では、医師2791人のうち16%、看護職員5401人のうち20%が患者や家族からの暴言・暴力の経験があると答えた。※2

 ▽大阪・北新地の放火殺人事件、犠牲となった院長の友人は

 2021年12月、大阪市の雑居ビルが放火され、心療内科クリニックの関係者ら26人が犠牲になった事件でも、死亡した容疑者は通院患者だった。亡くなった西沢弘太郎院長(49)の友人で、自身も東京都内にクリニックを構える男性は「医師を守る仕組みを考えてほしい」と切実に訴えている。

大阪・北新地のビル火災で、4階の火元のクリニックで活動する消防隊員ら=17日午後2時12分

 長引く新型コロナウイルス禍でストレスを募らせる人も増えた。男性自身も22年1月、診察の待ち時間を巡って激高した患者に顔面を殴られ、相手は現行犯逮捕された。身の危険を感じることは日常的にあるが、「医師には『応召義務』があり、原則として診療を拒否できない。どんな患者でもむげに断れない」。

 2つの事件で「攻撃的な態度を示す人への恐怖感が拭えない」と吐露した。

 ▽識者はどうみるか

 

慶應大の前田正一教授(本人提供)

 では、医療現場の暴力にどう向き合えばいいのか。慶應大の前田正一教授(医事法)は埼玉、大阪の事件で「医療と暴力の問題が浮き彫りになった」と指摘する。「医療現場であっても、公共の他の空間と同じように、刑法に該当する暴力に対しては、すぐに警察に通報することが重要だ。相手が患者というだけで泣き寝入りする必要はない」。そして、「国や医療機関が組織的に取り組むべき。有効な対策をとるために、まずは信頼性の高い実態調査が求められている」と提言する。

 特に、患者との関係が深い在宅医療は第三者の目が入りづらく、注意が必要だ。「患者の自宅は極めて閉鎖的な空間であり、病院のように他の職員に応援要請ができない。退避路の確保が難しい場合もある。安全管理を当事者任せにしてはならない」。大規模病院では組織的な対応が取りやすく、顧問弁護士との契約や警察OBの雇用などによりリスクマネジメントが出来る。だが、クリニックや診療所など小規模医療機関は経済的体力がなく、対応が難しい。

 前田教授は重大な事件を防止するために、トラブルの初期段階で、小規模医療機関が第三者の専門家から助言を受けられる仕組みの重要性を強調する。「都道府県に医療機関向けの相談窓口を設置するなど、支援体制を強化する必要がある。初期段階で専門窓口に相談をしていれば、事件は防げたかもしれない」

立てこもり事件があった現場付近に手向けられた花束=2月2日午後

 前田教授は、医療従事者を患者やその家族からの暴力やハラスメントから守り、医療機関が適切な対応がとれるように学習できる動画教材を作成し、公開している。※3

 事件を受け、医療界や行政も動き始めた。日本医師会の中川俊男会長は、医療従事者は少人数で診療に当たることが多いという構造的な課題があると指摘し、「厚生労働省と委員会を立ち上げて医療従事者をどう守るか検討していきたい」との考えを2月2日の記者会見で示した。厚生労働省の担当者は取材に対し、「医療従事者の安全確保は重要な課題だと認識している」と話し、医療団体の意見を広く聞いていく構えだ。

 埼玉県の大野元裕知事は、医療現場での暴言、暴力などハラスメント事例を収集するためのアンケートの実施を検討すると2月10日の記者会見で明らかにした。「銃で撃つというのは、常軌を逸した想定外の出来事。今後は、こうした事案は起こりえるんだという前提に立たざるを得ない」と強調している。

埼玉県の大野元裕知事=2月8日

 「これまでは医師が患者に丁寧に説明し、どう診療するかという議論が主だったが、医師からどのように診療を受けるか、患者に学んでもらう必要があるかもしれない」。東入間医師会関係者の言葉だ。超高齢社会の中で貴重な医療リソースを活用するためには、医師と患者が互いに耳を傾ける必要があるのではないだろうか。

 【ポイント】2025年問題・超高齢社会の在宅ケア

 2025年には、1947~49年に生まれた「団塊の世代」が全員後期高齢者となり、6人に1人が75歳以上、3人に1人が65歳以上の超高齢社会が進行する。医療・介護費の抑制も念頭に、国は出来るだけ人生の最期を自宅で迎えられるよう、在宅医療・介護施策を推進してきた。実際に、在宅ケアを望む人も年々増えている。2020年に訪問診療を受けた人は、月当たり80万人を超え、10年前の2倍以上だ。

※1「平成29年度・平成30年度全国訪問看護事業協会研究事業 訪問看護師が利用者・家族から受ける暴力に関する調査研究事業 報告書」一般社団法人全国訪問看護事業協会 https://www.zenhokan.or.jp/wp-content/uploads/h30-2.pdf

※2「平成29年度 我が国における過労死等の概要及び政府が過労死等の防止のために講じた施策の状況」厚生労働省https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/karoushi/18/dl/18-1.pdf

※3「1.患者等による暴言、暴力等の迷惑行為とその対策に係る基礎知識(1)-医療現場における暴力・ハラスメント対策について-」厚生労働省  https://www.youtube.com/watch?v=FrFJAz_kw9w

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