ウクライナ、直前まで賑やかだった街が一変した ロシア侵攻前後、3週間滞在した記者の記録

11日、ウクライナの首都キエフの中心部を歩く人々(共同)

 路上ミュージシャンが自慢の演奏を披露し、夜になっても老若男女が心の赴くままに歩いていた街が、空襲と銃撃で破壊された。おびえや怒りが歓声に取って代わり、一つの屋根の下で暮らした家族はばらばらに。ロシアによる侵攻開始の前後3週間、私はウクライナに滞在した。景色が一変しても、ロシアに対する市民の強い反感は不変。「プーチンは狂っている」。侵攻開始前後を問わず、そう話す人に何人も出会った。(共同通信=伊東星華)

 ▽侵攻直前もロンドンと変わらない日常

 ウクライナに入国したのは、ロシアが国境付近に軍備増強を進め緊迫した情勢が続いていた2月10日。きっと重苦しい雰囲気が漂っているだろうと想像していたが、降り立った首都キエフは全く様子が違っていた。外食を楽しむ人、子ども連れで散歩する人。私が普段、仕事をしているロンドンとほとんど変わらない日常があった。

 道行く人々に、侵攻について尋ねてみた。「ロシアの奴隷になりたくないから戦う」「プーチンは気まぐれで何をするか分からず怖い」との声が上がる。ただ、「侵攻したら欧米諸国が厳しい経済制裁を科すからロシアに不利だ」と、侵攻の可能性を否定する見方が多かった。

ウクライナ東部ハリコフ中心部を歩く家族ら=12日(共同)

 ウクライナ第2の都市、東部ハリコフを同12~13日にかけ訪ねた。30キロ先はロシアとの国境だ。街の光景はキエフと似ていたが、取材に応えた住民の多くは「パニックになるからニュースは見ない」と話すなど、不安を押し殺している様子が垣間見えた。

 ▽砲撃音が聞こえ、黒い煙が上がった

 2014年、ロシアのプーチン大統領はウクライナ南部クリミア半島を一方的に編入した。東部ドンバス地域では親ロ派武装勢力とウクライナ政府軍が衝突するようになった。もともとウクライナはロシアとつながりが深く、今もロシアに親類や友人がいるという人も多い。だが、ウクライナ人の対ロ感情はこの頃から悪化した。

19日、ウクライナの首都キエフにあるショッピングモールに入る人々(共同)

 ウクライナ入り後はほぼ毎日、私は国内外のメディアが報じるロシア軍の配置図に目を通していた。キエフに近い隣国ベラルーシでの軍備が日に日に増強されるのを見て「キエフに攻め込むための配置か」という悪い予感がした。2月24日未明、ついにウクライナ全土への侵攻が始まった。予感は現実となってしまった。すぐにハリコフなどでお世話になった通訳らに通話アプリで連絡を取った。

24日、首都キエフの通りに着弾したミサイルの残骸(右)(ロイター=共同)

 無事は確認できたもののの、「銃撃の音で目が覚めた」「地下シェルターにいます」との返事が返ってきた。キエフ中心部でも「ドーン」という砲撃音は聞こえ、黒い煙があちこちで立ち上った。通りから人影がほとんど消え、西部に通じる幹線道路は避難者の車両で埋まった。

 私は同僚と3人で19時間半に及ぶ移動を経て、西部リビウに到着した。自動小銃を抱えた兵士の姿が街で日に日に増えていく。26日は兵士の写真を撮ることがまだできたが、2日後にカメラを向けると険しい顔で「撮るな」と注意された。3月2日までの滞在期間中、空襲警報が毎日鳴り響いていた。

 ▽「これは第2次大戦ではない」

 

24日、ウクライナの首都キエフを離れる車で渋滞する道路(AP=共同)

 リビウにいる間もキエフやハリコフの通訳から映像や写真が届いた。多くは会員制交流サイト(SNS)に出ており、惨状が伝わってくる。黒煙がもくもくと上がるアパート、通訳の自宅の窓から見える軍用車。砲撃でぼろぼろになった建物の写真には「これは第2次大戦ではない。今日(同2日)のハリコフだ」とのメッセージが添えられている。

 古都リビウは隣国ポーランドから約140キロと近く、欧州への「緊急脱出口」でもある。ウクライナ全土から、命からがら逃げてきた避難民が押し寄せ、鉄道駅もバスターミナルも西側諸国を目指す人でごった返している。ただ18~60歳のウクライナ人男性は総動員令の対象であるため基本的に出国を許されない。長距離バス内は女性と子どもばかりで、戦争の異様さを物語っていた。

 「怖くない。ただとても怒りを覚えるだけ」。侵攻開始直後に通訳から届いたメッセージはウクライナ人の気持ちを代弁しているように思えた。通訳らもその後、西部やルーマニアとの国境近くに避難した。

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