「ちゃんと顔を見ておけば…」 福島県出身、長崎在住の坂本さん 津波で亡くなった父思い 東日本大震災から11年

被災当時の様子や父への思いを語る坂本愛未さん=長崎市内の海岸

 「あのとき、ちゃんと父の顔を見ておけばよかった」。長崎市に暮らす坂本愛未(なるみ)さん(35)は福島県いわき市出身。2011年3月の東日本大震災の津波で父の金成(かなり)正さん=当時(60)=を失った。震災後、長崎県警から福島県警に派遣された警察官の夫、雄二さん(35)と知り合い結婚。8年前に本県で暮らし始めた。11日で震災発生から11年。古里から遠く離れた長崎の地にいても、突然の別れとなった父への思いがあふれる。
 愛未さんは震災当時、いわき市内の自宅でエステ店を経営。「あの日」は以前勤めていた市内の別の店で経営者の女性と施術の腕を磨いていた。午後2時46分、激しい揺れに襲われた。震度4以上の強い揺れが3分余り続き、最大震度は6弱。動けずにいたが一瞬収まり、くつを手に店の外へと逃げ出した。
 「地震大丈夫か」。愛未さんの携帯電話に正さんからメールが届いた。その後電話もメールもほぼつながらず、30分後に「大丈夫だよ」とだけ返した。ようやく友人に連絡が取れ、車で迎えに来てもらい、自宅へ。普段は15分ほどの距離だが、避難する車の列で動かず、帰り着いたのは2時間後だった。
 川のそばを通ったときに逆流するのを目撃したが、海から離れていたので、津波のことは知らなかった。1人暮らしをしていた自宅は冷蔵庫が倒れ、壁にひびが入っていた。水道から水が出ず、着の身着のままで避難所へと向かった。
 「宮城県で100から200くらいの遺体だってよ」。避難所でテレビを見ていた住民から声を掛けられ、最初は意味が分からなかった。「海(側)から逃げてきた」という住民もいて、初めて津波の発生を知った。
 母和子さん(63)とは連絡が取れたが、正さんの消息は不明のまま。正さんが働くバス会社から連絡があったのは震災発生から3日後のことだった。海側の道路をバスで走行中、8メートルを超える津波に襲われ、亡くなっていた。愛未さんにメールを送った直後の出来事だった。

■記憶、体験「忘れちゃいけない」 原発事故で火葬立ち会えず

東日本大震災の被災地を撮影した写真を前に、当時を振り返る坂本愛未さん(左)と雄二さん=長崎市、浦上署手熊町駐在所

 2011年3月の東日本大震災発生から4日後、坂本愛未(なるみ)さん(35)=長崎市在住=は福島県いわき市内の体育施設にいた。人一人が通れるくらいのスペースを空け、館内いっぱいに遺体が並んでいた。間を縫うように進むと父正さん=当時(60)=の遺体が安置されていた。きれいな顔をしていた。とどまる場がないため、ゆっくりと対面することができなかった。
 両親は愛未さんが小学校に入る前に離婚。愛未さんは母和子さん(63)と暮らし、正さんと会う機会はほとんどなかった。ただ11年2月のバレンタインデーに手紙を渡し、料理が得意な正さんが弁当を作って届けるなど頻繁に連絡を取るようになった。最後に会ったのは震災前日の朝。車検に出していた車を届けてくれたが、眠かった愛未さんはしっかりと父の顔を見ることはなかった。
 市内では多くの人が亡くなり火葬の順番を待った。だが東京電力福島第1原発で事故が発生。30~70キロ離れたいわき市でも市民は放射線被害の恐怖におびえていた。「若い女性は市外に避難するように」。愛未さんは周囲から促され、後ろ髪を引かれる思いで内陸部の親戚宅に身を寄せた。父の火葬に立ち会えず、別れの言葉は伝えられなかった。
 「父のことをやる人は私しかいない」。愛未さんはいても立ってもいられず、3月下旬に遺骨を受け取るため自宅へと戻った。正さんが亡くなった沿岸部にも足を運んだ。集落は8メートルを超える津波に家屋が押し流され、100人以上が亡くなった。子どものころ、家族で海水浴に訪れた町だったが、がれきが山積し、風景は変わり果てていた。

いわき市の東日本大震災被害状況

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 12年1月、長崎県警は福島県警に6人の警察官を派遣した。その1人が「少しでも被災地の人たちの役に立ちたい」と手を上げた坂本雄二さん(35)だった。
 いわき市内や、原発から20キロ圏の警戒区域内でパトロールや行方不明者捜索の任に就いた。警戒区域に入るときは防護服を着込み、線量計を携帯した。住民が避難して無人となった町。震災から10カ月たっていたが、道路は地震で陥没したまま。津波で押し流された船や車が転がっていた。

正さんが津波で亡くなった沿岸部の町を、愛未さんが震災後初めて訪れ、撮影した写真=2011年3月25日、福島県いわき市(坂本愛未さん提供)

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 愛未さんは父方の親族に不幸が続き、心細い思いをしていた。そんなときに雄二さんと出会い交際が始まった。「想像する以上につらい思いをしていると思うので、自分にできるのはただ寄り添うことだけ」。雄二さんの優しさが愛未さんの心の支えになった。
 2年余り被災地で活動した雄二さんは14年3月、長崎に戻ることになり、プロポーズ。同年7月に結婚した。16年に長男圭ちゃん(5)が誕生。今は勤務先である長崎市手熊町の駐在所で暮らしている。
 愛未さんは年1回は里帰りして正さんの墓参りを続けている。「最後に会った日、父の顔をちゃんと見ておけば」「もっと早くメールを返しておけば」。後悔の念は今も消えない。
 震災では多くの人が亡くなった。長崎で暮らし始めてから「自分の記憶や体験を伝えたい」と考え、思い出したことを書き留めるようになった。「忘れちゃいけないかなと思う」。3月11日は毎年、自宅近くの海に花を手向け、手を合わせる。優しかった父に今年も追悼と感謝の思いを伝えるつもりだ。


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