「ここまで復興 夢のよう」 雲仙・普賢岳 砂防事業完成式 島原

記念碑を除幕する関係者ら=島原市

 43人の死者・行方不明者が出た1991年6月3日の雲仙・普賢岳大火砕流後、土砂災害対策を実施してきた国の直轄砂防事業が昨年完了したとして、国土交通省九州地方整備局などは12日、長崎県島原市で完成式を開いた。地元住民や消防団、国会議員、県議、大石賢吾知事ら関係者約60人が出席した。
 事業は93年4月に開始。雨によって発生する土石流被害を軽減するため、28年をかけ、火砕流や土石流で荒廃した水無川、中尾川、湯江川に計95基の砂防施設を整備した。総事業費は約1950億円。
 事業完了に伴い廃止された同省雲仙復興事務所に代わり、同省長崎河川国道事務所砂防課が水無川流域の砂防ダムなど計65基の維持管理や堆積土砂の撤去工事、溶岩ドームの監視業務などを引き継いでいる。
 新型コロナウイルス禍で1年延期されていた式は、島原半島3市でつくる雲仙・普賢岳火山砂防促進期成同盟会(会長・古川隆三郎島原市長)と同整備局が主催。溶岩ドーム(平成新山)頂上部から約4.5キロの地点にある水無川1号砂防ダムのそばで開き、古川会長が「未曾有(みぞう)の噴火災害からの復興は住民の願いを共有し事業に取り組んでいただいた結果」とあいさつ。
 その後、記念碑(高さ約1.8メートル、幅約1.9メートル)を除幕した。出席した噴火災害時の元島原市長、鐘ケ江管一さん(91)は「ここまで復興し夢のよう。感謝したい」と話した。
 雲仙・普賢岳噴火災害は90年11月から96年6月の終息宣言まで約5年半にも及んだ。平成新山山頂付近には約1億立方メートルの溶岩ドームが不安定な状態で存在。その直下の山腹斜面にも約1億7千万立方メートルの火山堆積物が今も残る。


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