「WALTZ FOR DEBBY」(1964年、Verve Records) 常識覆した北欧の歌手 平戸祐介のJAZZ COMBO・11

「WALTZ FOR DEBBY」のジャケット写真

 今回は初めて女性シンガーを取り上げます。北欧スウェーデン生まれのモニカ・ゼタールンド(1937~2005年)は、日本人にはなじみが薄いシンガーですが、自伝映画「ストックホルムでワルツを」(14年公開)を見てご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
 ゼタールンドは両親とも楽器を演奏する音楽一家で育ちます。幼少の頃からジャズに親しみ、サラ・ヴォーンらの影響を受けシンガーになる夢を膨らませていました。しかし当時、音楽業界ではジャズは英語で歌うのが当たり前とされており、スウェーデン語が母国語である彼女にとって、夢をかなえるのは大変なことでした。
 それでも、卓越した歌唱力と美しい容姿、時代を反映したファッションセンスを併せ持つ彼女は逆境をはねのけ、瞬く間にジャズシーンで知られる存在となります。
 そんなゼタールンドは1964年、ストックホルムで天才ピアニスト、ビル・エバンスと出会い、転機を迎えます。エバンスの才能にほれ込んだ彼女は熱心なアプローチを重ね、アルバム「WALTZ FOR DEBBY」(1964年、Verve Records)で念願の共演を果たすのです。
 注目されるのは、タイトル曲「WALTZ-」を、スウェーデン語の歌詞に変えて歌った「Monicas Vals(モニカのワルツ)」が収録されている点。「WALTZ-」を生涯の愛奏曲としたエバンスにとって、夢を追い掛けジャズに愛情を注ぐ彼女は、とても大きな存在だったことがうかがえます。公式な記録には残っていませんが、ゼタールンドとエバンスの共演は70年代まで断続的に続いたようです。
 米国のジャズシンガーのような、迫力あるブルージーなスタイルとは異なり、柔らかく包み込むような歌い方が持ち味のゼタールンドは、「北欧のビッグスター」として語り継がれる存在になりましたが、晩年は背骨の病気のため車いす生活を余儀なくされました。しかも、引退後は自宅の火災で悲劇的な死を遂げてしまいます。
 しかし彼女の死後も、ジャズは英語だけで歌われるものではないと、身をもって示した功績は輝き続けます。このアルバムは「何事にも挑戦することの大切さ」を教えてくれるような気がするのです。
(ジャズピアニスト、長崎市出身)

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