コロナ禍 触れ合い難しく…「触手話」で会話 佐世保市内の盲ろう者2人の生活 長崎盲ろう者友の会20年 

手話をする古川さん=佐世保市福祉活動プラザ

 目と耳の両方に障害がある盲ろう者の自立と社会参加を支援しようと「長崎盲ろう者友の会・あかり」が発足して今年で20年。会話には手話をしている相手の手に自分の手を乗せて読み取る「触手話」を使うなど、触ることが欠かせない。だが、新型コロナウイルスの感染拡大で「触る」ことに敏感な世の中になった。2人の盲ろう者に生い立ちやコロナ禍での生活などについて聞いた。

 佐世保市栄町の市福祉活動プラザ。指定された会議室に入ると、「あかり」の会長、古川幸枝さん(53)が触手話で会話をしていた。記者の言葉は通訳者が手話で伝え、古川さんはそれを触って読み取り、手話で答える。

手話をする相手の手を握るように触れて読み取る「触手話」=佐世保市福祉活動プラザ

 長崎市出身の古川さんは、結婚を機に佐世保へ転居した。生まれつき耳が聞こえず、視力も0.3程度の弱視だった。県立ろう学校専攻科を20歳で卒業すると地元のクリーニング会社に就職した。しかし、視力がさらに落ちていき、仕事を続けることが困難になった。28歳のときに退職。そして、35歳で完全に視力も失った-。
 現在は、難聴で目が見えない、同じく盲ろう者の夫と、その両親の計4人で暮らしている。夫とは、指に触れて読み取る「指文字」やLINE(ライン)、メールなどでやりとりをしている。「私が外出すると心配する優しい夫」と恥ずかしそうに笑顔を見せる。
 週に5日、作業所でお菓子作りなどに取り組み、帰宅後は洗濯や掃除、料理などできることは古川さんが担当している。世の中のことを知るため、インターネットの内容を点字化するソフトや専用機器を使いアクセスしているそうだ。
 家の中ではいろんなことに取り組んでいる古川さんだが、1人で外出するのには「恐怖を感じる」という。外出する際には、行政の通訳・介助員や家族のサポートを受ける。そのため思い立ってすぐに外出することは難しく、突然襲ってくる「災害が怖い」と漏らす。
 買い物をする際は、手で触れてどういった物か把握している。だが、コロナ禍では“触れて”の確認がはばかれる。そのため、外出を控えるようになり「ストレスはたまる一方」。コミュニケーションも触手話など触れ合いが不可欠だ。接触を避けなければならないコロナ禍では、他の人より厳しい状況に追い込まれてしまう。

 古川さんへの取材が終わろうとする頃に、「あかり」の副会長で盲ろう者の大川久子さん(67)が介助者と共に会議室に入って来た。古川さんと大川さんは互いの手を握り合うように触手話で話し始め、時折うなずき合って会話を重ねていた。

触手話で会話をする大川久子さん(右)と龍馬さん=佐世保市福祉活動プラザ

 大川さんは佐世保市内で、耳が聞こえない夫の龍馬さん(74)と2人で暮らしている。大川さんは生まれつき耳が聞こえなかったが目は見えていた。友人らと旅行を楽しむことが何より好きだった。しかし、病気で63歳のときに視力を完全に失う。
 年を重ねてから生活態様が大きく変わった大川さん。それまでできていたことが、できなくなる苦しみは大きかった。「自由に出掛けられない。とても苦しい」と眉間にしわを寄せながら手話で胸の内を明かす。
 龍馬さんは手話ができるため2人は触手話で会話をしている。現在、家事の多くを龍馬さんが担っており、日々のニュースなどの情報は、時折龍馬さんが選んで手話で伝えてくれる。「夫がいなくなったら、どうしよう」-。生活の大部分を龍馬さんに頼らざるを得ない大川さんは、不安そうな表情をみせた。


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