「この島が好き」 溝口作吉さん(72)=佐世保市宇久町寺島= 血を超えた強い関係性 すみ住み生活誌 境界で暮らす人々・1

「住んだ人にしか分からない良さがある」と端っこの生活を楽しむ溝口さん=佐世保市宇久町寺島

 中心部から離れた“端っこ”での生活は時に不便さが付きまとう。その一方で中心部では味わえない楽しさや魅力がある。佐世保、平戸、松浦、東彼各地区の端で暮らす人たちの生活をのぞいてみた。
 佐世保港からフェリーで約2時間半の宇久島で船を乗り継ぎ約10分。到着した寺島は長崎県佐世保市の最西端にある。周囲8.8キロ、面積1.27平方キロの小さな島。現在、7世帯8人が暮らす。
 「この島が好き。一人でも住み続けたい」。島で生まれ育った溝口作吉さん(72)は昨年、市本土の自宅に家族を残し、寺島に戻った。

 寺島は2006年に宇久町が市に編入されたことで市の“端っこ”になった。コンビニもなければ自動販売機もない。商店も病院もない。外出の予定は天候に左右される。「何もなくて不便なんだけど、その不便さがまたいいよ」
 市本土に比べると行動は限られるが、溝口さんにとってはこの島が中心。ゆっくりと流れる時間、おいしい空気、自前の漁船で楽しむ釣り。一番のぜいたくだと考えている。そしてもう一つ、「島への恩返し」が島に戻った理由だった。

 島の中学校を卒業後、船員として働いた。島を離れている間に過疎化が加速。最盛期の1955年に500人超いた住民は、公表データで最も古い95年には42人に。ここ約10年は1桁が続く。中学校は62年度、小学校は72年度で閉校となり、商店も姿を消した。市の最端に暮らす子どもはもう何十年もいない。
 現在、島で暮らす8人は全員65歳以上。このうち5人は85歳を超える。溝口さんにとっては、子どものころから怒られたり褒められたりしてかわいがってくれた人たち。「何かあったら大変だから」。島では“若者”の溝口さんが、5人が少しでも長く、住み慣れた島で暮らせるようにサポートを続ける。
 溝口さんは2日に1回程度、体調などに異変がないかそれぞれの家を回って確認する。時に畑作業を手伝い、収穫したジャガ芋やタマネギをもらう。溝口さんは釣った魚をお裾分け。島民がけがした時は、漁船で宇久に送ったこともある。市本土から60キロ以上離れた場所で、協力しあって生活してきた。現代社会で課題となっている地域コミュニティーの希薄化とは無縁。この島には、血のつながりを超えた強い関係性がある。
 今、この場所で暮らす人にとっても、かつて暮らした人にとってもいろいろな思い出が残る最西端の島。「この島が好きだから無人島にはしたくない」。住み続けることが「恩返し」になると信じている。


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