永井隆博士の思い多くの人に 「長崎の鐘」英語版再版

故永井隆博士(奥)が執筆した「長崎の鐘」。約40年ぶりに英語版を再版した=長崎市上野町、市永井隆記念館

 長崎原爆に遭い、負傷しながらも救護活動にあたった医師の永井隆博士が、被爆直後の惨状や平和の思いをつづった「長崎の鐘」の英語版が約40年ぶりに再版された。故永井博士の孫で長崎市永井隆記念館の永井徳三郎館長らが人物名などを調べ、約90人分の読み仮名や職種・役職などの注釈を付けた。日本語版を合本し、原爆関連の資料としての意味合いを持たせた。

 長崎の鐘は連合国軍の占領下だった1949年に刊行し、ベストセラーになった。英訳本は84年に日本で出版され、その後、絶版となった。同館には「英語の本はないか」などの問い合わせもあっていた。
 NPO法人「長崎如己の会」が博士没後70年だった昨年の出版を目指していたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期。今年2月に完成した。日本語を学ぶ人にも読んでもらおうと日本語版を合わせ、読み仮名も多めに付けた。
 注釈に付けた職種・役職や名前の読みは、永井館長らが被爆に関連する書籍を調べ、「長崎の鐘」文中に登場する生存者らに聞き取って調べた。被爆後、髪の毛が焼けもんぺが破れながらも、火の中から看護師2人を救い出した「小笹技手」の注釈は「小笹富枝(こざさとみえ)=放射線技手」とした。
 非売品で3千部発行。英訳196ページ、日本語167ページ、B6判。今後、長崎市内の小中高校や海外の大学、平和活動に取り組む団体などに配布する。永井館長は「長崎の鐘は(博士が)余命いくばくもない中で一番思い入れのある本。博士が最も伝えたい『平和』を多くの人に読んでもらいたい」と話している。
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 調査して名前の読みが分からなかった人もおり、同会は情報提供を呼び掛けている。問い合わせは同会事務局のメール(seitan@nagai100.jp)。

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