「ここには海も山も両方ある」 湯浅修さん=佐世保市俵ケ浦町= 港の玄関「高後崎」 すみ住み生活誌 境界で暮らす人々・2

「船の出入りは日常の風景ですよ」と港口を指しながら語る湯浅さん=佐世保市俵ケ浦町

 出入り口が狭く奥行きがある佐世保港。出入り口の北側にあるのが俵ケ浦半島の先端、高後崎。佐世保の中心部から車で30分ほどかかる場所だ。文献によっては向後崎との表記も見られる。これは軍艦が出港し、後ろを振り向いて名残を惜しんだことから海軍が使い始めた当て字だという。
 佐世保港は米海軍基地や海上自衛隊の施設を抱える。離島航路のターミナルもあり、艦船や旅客船など多くの船舶が高後崎の目の前を行き来する。海岸のすぐ側に住む湯浅修さん(74)が昔話をしてくれた。

佐世保市俵ケ浦町の地図

 佐世保には原子力潜水艦シードラゴンや原子力空母エンタープライズの日本初入港を始め、多くの米艦船が往来した。「いつだったか、空母が来た時は県外からもカメラマンがやってきたよ。報道機関から取材を受けたこともある」。世間が騒いでいても、湯浅さんにとって、船の出入りは日常の風景だ。
 周辺の土地を所有していた湯浅家は約150年前、農作業のため現在の場所に居を構えた。戦後、高後崎に米軍が駐留し、湯浅さんは子どものころ「パンにハムを挟んだサンドイッチをもらったこともある」と話す。1950年に朝鮮戦争が勃発。入港してくる米軍の艦船が期限切れ直前の食料を海に投げ捨てる光景がしばらくの間、続いたという。それを回収した漁師から食料を分けてもらうこともあった。「まだまだ日本も貧しかったからね」。湯浅さんはしみじみと振り返る。
 高校卒業後に実家を離れたが、40歳を過ぎて高齢になった両親のために戻ってきた。両親は他界し今は1人暮らし。かつては周辺に十数世帯あったが、現在は数世帯だけになった。湯浅さんは高齢者が暮らす近隣世帯へ月に1、2回ほど、畑で作った野菜を渡しに行き、元気かどうか声を掛けているという。
 湯浅さん宅には今も水道が通っていない。生活水は井戸水、飲料水は購入して賄っている。周辺に商業施設は、もちろんない。それでも高後崎での生活に満足している。「ここには海も山も両方ある。ゆっくり暮らせるからね」。住めば都-。湯浅さんの口調からはそんな思いがにじんでいた。


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