松坂大輔育てたシニアに「待て」のサインがない理由 80歳の総監督が貫く“信念”

江戸川南リトルシニア・有安信吾総監督【写真:羽鳥慶太】

江戸川南リトルシニアの有安信吾総監督は野球経験なしからコーチを開始

東京都で活動する江戸川南リトルシニアの有安信吾・総監督は80歳。1人の父兄として踏み込んだ指導者生活は、40年になろうとしている。松坂大輔投手(元西武)や小谷野栄一内野手(元オリックス)らのプロ野球選手を育て、少年野球の世界をずっと見守って来た生き証人だ。「パパコーチ」として始まった紆余曲折の指導者人生を振り返る。

◇◇◇◇◇◇◇

私が少年野球の指導をするようになったのは、かれこれ40年近く前、長男が小学校3年生の時に江戸川リトルに入りまして、しばらくしてコーチをやってくれないかと声がかかったのがきっかけです。私は本格的な野球経験がないもんで、最初は断りました。でも息子がお世話になっているのに、断ってばかりもいられないと思って引き受けた。要するに「お父さんコーチ」からのスタートだったんです。

最初のうちは指導法も手探り。でも勉強はずいぶんしました。他のコーチみたいに高校で(野球を)やって、大学でやってっていうんじゃなかったですから。ちゃんと勉強して指導しなくちゃ、子どもたちに申し訳ないと思いましたから。

当時、江戸川リトルから帝京(東東京)に行く子が結構いたんです。そんな縁で前田(三夫・現名誉監督)さんと仲良くなって、打つ、投げる、捕るといった技術的なことから試合での作戦まで、一から野球を教えてもらいました。前田さんには「有安さんの野球はちょっと『セコセコ』してるよ。高校に来たら嫌でも細かい野球をやんなきゃならないんだから、もっと大きく考えて自由にやらせたらどうですか」と言われました。

だから、ウチのチームには「待て」のサインはないんです。空振り三振してもいいから自由に思いっきり打たせる。これなんかは、前田さんに教わったことが影響してますよね。

全国にOBの高校野球指導者が11人

あと箕島高校の尾藤(公)さんにも教えを乞いたいと手紙を出したら、是非おいでくださいとお返事をいただいて、和歌山まで足を運んだこともありました。練習を見学させていただいて、高校野球の強豪校というのはこういう練習をしているのかと、大変勉強になりました。そういう当時の強豪高校の監督さんから野球を教わって、小学生、中学生に通用するように応用して、私なりの指導法ができていった感じですかね。

おかげさまで、ウチの出身者には高校野球の指導者をしているのが11人もいるんです。関東一高の米澤(貴光)監督、長野の都市大付属塩尻高で監督をしている長島(由典)と部長の佐久間(和人)、北海道の北照高で部長をしている大河(恭平)、小岩高の茶川(剛史)もそうです。

私はウチの出身者がプロ野球選手になるよりも、指導者になってくれたほうがうれしいんですよ。彼らの野球の原点には江戸川南リトルでの指導があって、私たちが教えたことを、受け継いで広めてくれているんですからね。

○有安信吾(ありやす・しんご) 1941年、東京都葛飾区出身。江戸川リトルシニアでコーチとして少年野球指導を始め、1984年に江戸川南リトルシニアを創設し総監督に就任。全日本選手権大会優勝3回、全国選抜大会優勝4回、リトルリーグ・ワールドシリーズに2回出場し、2010年には世界一となった。教え子に松坂大輔、小谷野栄一など多数のプロ野球選手がいる。(石川哲也 / Tetsuya Ishikawa)

大阪桐蔭と開成にある共通点とは? 東大前監督が力説する「身近なお手本」の重要性

「甲子園出場」と「東大合格」を果たした球児の“共通点”は? 野球部前監督の分析

軟式、硬式どちらにすべき? あまりに多い“中学野球”の選択肢と特徴を紹介

© 株式会社Creative2