【追う!マイ・カナガワ】横浜・MM線の車両留置場 住民反対も工事再開なぜ(下)

終点の元町・中華街駅に停車するみなとみらい線の車両。この奥に車両留置場が建設される=横浜市中区

 港の見える丘公園(横浜市中区)の地下で、工事が再開したみなとみらい(MM)線の車両留置場建設。一部住民が建設に反対している問題を取材すると、運行する横浜高速鉄道が工事を急がざるを得ない事情があることが見えてきた。

◆借地契約は当初19年まで

 同社は車両計6編成を保有するが、自前の車両基地を持たない。毎日の運行を終えると1編成を元町・中華街駅に留め置き、残り5編成は東急電鉄(東京都渋谷区)の元住吉車検区(川崎市中原区)を間借りした敷地に止めている。

 両社は同線が開通した2004年、19年1月までの期限で元住吉の借地契約を締結。契約途中の11年には東急から「契約終了後は新しい留置場を探してほしい」と念を押されたが、移設先の確保は遅々として進まなかったという。

 相互乗り入れする東武電鉄や西武鉄道などの敷地内に留め置くことも打診したが、いずれも断られたため自前の車両基地の建設に踏み切ることを決め、17年には地元への説明を始めた。

◆国答申で「見切り発車」

 なぜ開業時に車両留置場を建設しなかったのか。そんな疑問を抱いてさらに取材を進めると、思うように進まなかったMM線の延伸計画の存在が絡んでいたことが分かってきた。

 同線の横浜─元町・中華街駅の整備が1985年の国の運輸政策審議会答申で決まった際、その先の本牧・根岸方面への延伸も「検討路線」とされた。

 そのため、将来の延伸時に根岸方面などに自前の留置場を設置することを前提に、開業当初は東急から15年間、間借りすることが決まったのだという。

 その後、2000年の国の答申が「整備着手が適当」と期待を持たせたこともまた、04年の「見切り発車」に拍車をかけた。

 「延伸ありき」で進んだ元住吉の間借りだったが、次の16年答申では「事業性に課題あり」と延伸ムードは一気に後退した。横浜高速鉄道が初めて自前の留置場の説明会を開いたのは翌17年のこと。当時から住民に「借地の期限が迫っているのになぜもっと早く検討しなかったのか」と問いただされた同鉄道は「ご指摘の通りです」と返すしかなかった。

 これまで交渉に携わってきた地元町内会の男性理事(74)は記者に対し、数枚の名刺を並べた。いずれも同鉄道の社員だが横浜市からの出向組で、「担当者が入れ替わるたびに話が止まった」ことが対応の遅さにつながったと見ている。

 結局、東急との契約期間中に延伸は実現せず、同鉄道は19年1月の期限前に、元住吉の借地契約の延長を申し入れた。

◆置き場ない空白期間が

 東急は5年間の延長には応じてくれたものの、3月に再開した工事が今後順調に進んだとしても、MM線の車両留置場の完成めどは30年度中になる。6~7年ほどは置き場のない「空白期間」が生じる計算で、横浜高速鉄道は「契約再延長か、東急の駅の待避場所を借りるか…。対応を急いでいる」と苦しい説明をしている。

 さらに東急も、来春に相鉄線と相互乗り入れする新横浜線開業を控えて自社車両の留置スペース確保が重要課題になっており、同社は「車庫以外に車両を留置せざるを得ない状況。運行上のリスクを抱えており、解消しなければならない」と強調している。

 横浜高速鉄道は工事を長引かせまいと、地権者に対して補償金を支払い強制的に土地を取得する「土地収用制度」の選択肢も示している。

 「泣き寝入りするしかないのか」。地権者の男性は頭を抱え、地元町内会の男性理事は声を上げた。「(横浜高速鉄道は)東急との約束も守れず、計画の進め方も場当たり的。信頼して工事を任せることはできない」

◆高まる「元町-根岸」延伸への期待

 元町・中華街駅から本牧方面に掘り進めるMM線の車両留置場の建設工事。説明会では住民からたびたび「延伸の足掛かりになるのか」と質問が飛び交う。

 MM線は当初、横浜-元町-本牧-根岸のルートが計画されていたが、開業時に元町-根岸は実現しなかった。現在も鶴見-日吉、中山-二俣川-東戸塚-上大岡-根岸-元町・中華街を結ぶ「横浜環状鉄道」構想の中に含まれており、地元には根強い期待がある。

 本牧地区はかつて米軍接収地の返還後に、鉄道駅の設置を見込んだ開発が進んだ経緯があり、延伸に向けた署名集めなどの市民活動は今も続いている。

 横浜高速鉄道はこれまでの説明会で「留置場は延伸とは全くの別事業」と前置きしつつ、「延伸する場合は留置場からレールを延ばすことになると思う」などと説明している。

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