韓国「4.3事件」から74年 対馬・海岸沿いで追悼式 魂に向き合い供養

供養塔に手を合わせる参加者=対馬市上県町

 韓国南部の済州島で1948~54年、島民が虐殺された「4.3事件」の発生から74年の3日、犠牲者とみられる多数の遺体が流れ着いた長崎県対馬市上県町佐護地区の海岸沿いで追悼式が営まれ、島内外の市民や在日コリアンら約20人が参加した。
 事件は48年4月3日、南北分断に反対した左派勢力の蜂起を機に発生。警察や軍が多数の住民を虐殺し、左派も非協力的な住民を処刑した。虐殺は同年8月の韓国成立後も続き、3万人以上が犠牲になったとされる。
 佐護地区には当時、数百の遺体が流れ着き、地元住民の江藤光さん(故人)ら数人が佐護地区の海岸沿いに手厚く葬った。光さんからその話を聞いた長男の幸治さん(64)が、2007年に私費で埋葬地の近くに供養塔を建立した。
 追悼式は、慰霊活動などに取り組む島外の市民団体「漢拏山(ハルラサン)の会」が企画した。全員で供養塔に焼香後、同会顧問の長田勇さん(74)=大阪市=が「この海に眠る数え切れない犠牲者の魂に向き合い、思いをはせて供養することが大事だ」とあいさつ。
 4.3事件で左派勢力に加わり、日本に逃れた詩人、金時鐘(キムシジョン)さん(93)=奈良県生駒市=は「事件のことが対馬で語り継がれていくと確信している」とビデオメッセージを寄せた。犠牲者をしのび、同会メンバーによる合唱もあった。
 対馬市上対馬町の自営業、孟勲永(メンフンヨン)さん(47)=韓国釜山市出身=は「犠牲者の痛みが和らげばと願った。こうした日韓の交流が長く続くといい」と話した。


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