異才の辿った道

 寒い夜は頭から布団をかぶり、机を並べて漫画を描く。眠気に襲われると、互いにペン先で太ももを突き合った。東京のアパート、トキワ荘で腕を磨いた昔を「藤子不二雄」のおふたりが自叙伝で回想している▲1954(昭和29)年、若手漫画家が集まるトキワ荘を手塚治虫さんが出て、富山県から上京してきた2人が入った。赤塚不二夫、石ノ森章太郎、つのだじろう-と、のちに名を成す若手との暮らしは笑い声に満ちていたという▲2人の共作「オバケのQ太郎」、1人で描いた「忍者ハットリくん」「怪物くん」などで知られる藤子不二雄(A)さんが88歳で亡くなった。自分が読みたいものを描く、誰も描かないものを描く。言うは易(やす)く、行うは難(かた)しの一本道を異才は歩んだ▲仰ぎ見る手塚さんの漫画は、まずストーリーがあり、筋書きに添って登場人物が動く。自分流はまず主人公がいて、それが自在に、好きに動くように…と、若い頃から思い描いたらしい▲電子書籍で読むと、なるほど、ハットリくんも怪物くんも何をしでかすか分からない。全くもって気ままだが、時にさらりと誰かを助ける▲陰影のある「笑ゥせぇるすまん」といった大人漫画も、年を重ねてなお「自分が読みたいもの」を追い求めた産物だろう。辿った道に「独創」という花が咲き誇る。(徹)

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