社会なじめず 家族から見放され… たどり着いた地下シェルター アンダーグラウンド ルポ 佐世保の今・1

地下シェルターに続く階段。20~30代男性はさまざまな理由で地下にいた=佐世保市内

 地下へ続く階段を下りると、6人の男性がいそいそと夕食の準備をしていた。「こんにちは」。記者が声をかけると、全員が不思議そうにこちらを向いてあいさつをした。失業、ひきこもり、犯罪…。彼らはさまざまな理由で地下シェルターにいた。
 地下シェルターを含む複数のシェルターを運営しているのは生活困窮者の就労支援などをしている事業所「Mind Factory」(長崎県佐世保市)。2015年に設立し、同市と北松佐々町の2カ所に就労継続支援B型事業所を展開するだけでなく、就労移行支援も実施。県内で初めて生活困窮者就労訓練事業の認定を受けた。
 地下シェルターでは、別々の部屋で暮らす20~30代が中心になって集まり、一緒に食事をしている。
 シェルターで3~4年間暮らす男性(24)は、上司からの暴力や仕事がうまくいかずひきこもりがちになり、家で暴れるように。精神科病院にも入院した。なぜか、対人関係がうまくいかない。宇宙飛行士になりたいと思っていた幼いころの夢も、だんだん消えていった。「本気でやりたいことなんて今はない」。うつむきがちに答えた。
 新型コロナウイルスがきっかけで介護職の仕事や行き場を失った男性(26)もいた。
 地下で出会った彼らは全員、発達障害や知的障害、自閉症の特性がある人たち。社会になじめず、手に負えなくなった家族からは見放され、たどり着いたのがシェルターだった。
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 引きこもりや障害者、DV被害者、8050問題…。さまざまな問題に加え新型コロナウイルスの影響で孤立を深める人が増えている。事業所では、あらゆる人を受け入れ、社会復帰の一歩を後押ししている。半年間、事業所に足を運び、行き場を失った人たちと支援に奮闘する人たちの現場を追った。

◎居場所見つけ“兄”のように 支援される側からする側へ

 民間シェルター機能は、県内でも行き場を失った人たちの貴重な受け皿だ。近年はほぼ満室が続く。過去2年間で約80人が利用した。今はシェルターを運営する事業所「Mind Factory」の職員として働く松山俊(33)=仮名=もシェルターを利用した一人だ。
 松山は父親が暴力団員で、母親は中3の時に亡くなった。仕事をしたいという思いが強く、高校1年の時に中退。関東で、主に道路工事関係で働いていた。
 5年前、オンラインゲームで出会った女性と暮らすために着の身着のままで県内までやってきた。女性と松山の間には子どもが生まれ、小学生になる女性の連れ子と4人で幸せに生活していた。
 だが、女性は松山の髪の毛を引っ張ったり、つねったりするなど気性の荒さが目立ってきた。早めに寝ると機嫌が悪くなった。女性は子どもへもあざができるほど暴力を振るっていた。徐々に女性との関係に亀裂が入っていった。
 昨年5月ごろ。しつけのために一度だけ子どもの背中をたたいた松山は、女性にドメスティックバイオレンス(DV)だとして警察に通報された。関係がこじれ、女性の家を出ることになったが、どこにも行く当てはない。そのとき、紹介してもらったのが事業所だ。
 「寝泊まりできるところがあって安心した」。シェルターに入居し、生活は落ち着き始めた。現在は代表に認められ、昨年10月から職員として働くようになり、居場所になった。生活保護の受給は3カ月で打ち切った。

地下シェルターの玄関。松山は地下で“兄”のように慕われている=佐世保市内

 松山は地下シェルターで“兄”のように慕われ、メンバーを定期的に釣りに連れて行ったり、生活面では厳しく指導したりしている。「自分と似たような感じで困って来ているんだろうと思う。これからもここで頑張っていきたい」。支援される側から支援する側になりつつある。
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 地下シェルターでは掃除や料理などは当番制。取材に訪れると、「料理長」と呼ばれる男性(30)が豚汁を作ってくれて、夕食を共にした。話し込んでいると、シェルターの扉が開いた。入ってきたのは刑期を終えて出所したばかりの須田郁郎(50)=仮名=だった。
=敬称略、連載2へ続く=


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