伊藤長崎市長銃撃から15年 当時秘書の中村さん「理不尽な凶行、風化させない」

伊藤市長が射殺された事件現場で、故人への思いを語る中村さん=長崎市大黒町

 長崎市長だった伊藤一長氏=当時(61)=が市長選期間中に射殺された事件から17日で15年。市中央地域センター主幹の中村雅博さん(47)は事件までの3年間、市長秘書を務めた。「暴力に訴えた理不尽な事件。風化するのが一番怖い。事件のことを伝えたい」。そんな思いで今、あらためて当時のことを語った。
 「市長が撃たれた」
 2007年4月17日夜、長崎市役所近くにいた中村さんに秘書課の同僚から電話が入った。「まさか」。現実とは信じられないまま職場へと急いだ。心肺停止状態と伝えられ、情報収集に当たった。
 不安を抱えながらも夜中にいったん自宅に戻った。日付が変わり、訃報が届いた。慌てて市役所に戻り、夜明けを待って遺体が安置されている病院へ。同僚と自宅までひつぎを運んだ。泣き叫ぶ遺族にかける言葉が見つからなかった。
 市長を撃ったのは、長崎市の暴力団幹部=20年1月に無期懲役で服役中に死亡=。市に不当要求を断られたことを逆恨みした末の凶行だった。
 伊藤氏と最後に言葉を交わしたのは、事件2日前の市長選告示日の朝。「候補者・伊藤一長」の出陣式を遠くで見守っていると、選挙カーに乗った伊藤氏が声をかけてくれた。「来てくれたね」。見慣れたいつもの笑顔だった。
 市長秘書として3年間、そばで見てきた伊藤氏は常に市政のことを考え「長崎が大好きな人だった」。現場を大事にした。特に05、06年に市町村合併で新たに加わった地区を「元気にしたい」との思いが強いと中村さんは感じた。
 事件から5日後、市長選に補充立候補した田上富久氏が当選。中村さんは市民力を掲げる田上氏の下、07年8月に新設された市民協働推進室をはじめ、まちづくりに長く携わってきた。
 事件現場となったJR長崎駅近くの歩道に設置された献花台にもほぼ毎年足を運んだ。しかし、十三回忌を節目として市は19年を最後に設置を取りやめ、当時のことを知らない職員も増えている。今、海の向こうでは戦火が上がり、国内でも暴力団組織による犯罪は絶えない。
 「戦争を含め暴力のない平和な社会を、というのが伊藤市長の願いだった」。中村さんはかつての事件現場に立ち、誓いを新たにする。「安全・安心で暮らしやすい地域を市民の皆さんとつくっていきたい」

◎田上市長談話 「暴力のない社会実現を」

 長崎市長だった伊藤一長氏=当時(61)=が市長選期間中に射殺された事件から17日で15年になるのを前に、田上富久市長は15日、伊藤氏の冥福を祈るとともに「市民の皆さまと、暴力のない、安全で安心して暮らせる社会の実現に向け歩みを進める」との談話を発表した。
 談話で田上市長はウクライナ情勢に触れ「多くの人々の命が奪われている状況にある」と指摘。「核兵器のみならず戦争そのものを、あらゆる暴力を社会からなくさなければならない」と決意を新たにした。


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