世間のルール

 「世間」という言葉は、遠い昔からあったらしい。奈良時代の終わりにできたとみられる万葉集に山上憶良(やまのうえのおくら)の一首がある。〈世間(よのなか)を憂(う)しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば〉▲「やさし」は「身も細るほど耐え難い」。世の中をつらい、耐え難いと思うけれど、どこかへ飛んでいくことはできない。鳥ではないのだから…。人々の貧しい暮らしを嘆いている▲今で言う世間とは何だろう。作家で演出家の鴻上尚史(こうかみしょうじ)さんは対談集「同調圧力」(講談社現代新書)で〈会社とか学校、隣近所といった、身近な人びとによってつくられた世界〉だと言い、自分とは関係のない人々でつくられた「社会」と区別している▲暗黙のうちに、周りの多くの人と同じように行動するよう強いる。コロナ禍で、日本ではこうした「世間のルール」が強く働いたのだと、鴻上さんはみる▲中でもマスクの着用は、逸脱がまず見られない「ルール」の極みだったろう。政府は今月、それを「屋外で会話が少なければ不要」とした▲「常に着用すべきだ」「絶対すべきでない」というのではなく、それぞれに判断しよう-という専門家の見解がきのうの紙面にある。息苦しいマスクを外して深呼吸すること。「世間のルール」の縛りを少し解いて、一息つくこと。二つは相通じている。(徹)

© 株式会社長崎新聞社