大火砕流「異様に真っ白」 普賢岳上空から爪痕目撃 元海自ヘリ操縦士の森下さん

写真左から火砕流の被害を受けた平成新山一帯(1992年5月4日撮影)、「組織として全力を出すため、練度を維持する」と話す森下さん=大村市今津町、県警航空隊基地

 雲仙・普賢岳噴火災害の大火砕流惨事から3日で31年。元海上自衛隊のヘリコプター操縦士、森下和光さん(60)は1991年6月の大火砕流発生後、上空からの情報収集任務に当たった。現在は長崎県大村市の県警航空隊に所属し、3日は平成新山の溶岩ドーム崩落を想定した県警の訓練に臨み、再び現地上空を飛んだ。
 福岡県出身の森下さんは18歳で海自に入隊。護衛艦の艦載ヘリのパイロットとして海外での訓練に参加したほか、夜間の急患輸送や災害時の情報収集を担う救難飛行隊などに所属。航空学生の指導や新型練習ヘリの導入にも携わった。定年退職後の2017年4月に県警航空隊にヘリコプター操縦士として採用され、今年4月に再任用となった。
 1991年当時は海自大村航空基地に所属。大火砕流の発生を伝える報道などで「大変なことが起こった」と感じていた。ただ、当初は「火砕流」という言葉になじみがなく、後からヘリを飛ばすまで被害状況は想像できなかったという。
 火砕流発生後間もなく、情報収集のためヘリで現地へ向かうと、43人の犠牲者を出した猛威の爪痕を目の当たりにし、言葉を失った。「緑の多かった土地が雪とは違った、異様な真っ白い光景に変わっており、想像以上に悲惨な状況だった」と振り返る。
 県警航空隊では、県内で2020年7月に大雨特別警報が発表された際も出動。護岸が決壊した佐奈河内川一帯や浸水した与崎交差点など被害の大きかった大村市内をはじめ、情報収集のため県内各地を飛び回った。
 近年、地球温暖化との関連が指摘される大雨災害が多発している。森下さんも「災害による対応は増えていると感じている」。だからこそ、「県警が組織として全力を発揮できるよう練度を維持することが重要」と力を込める。
 3日の訓練は「平成新山の溶岩ドームが崩落しているとの情報が入り、ヘリのカメラで情報収集する」との想定。指令を受けて、県警のヘリ「さいかい」で飛び立ち、現地の映像を県警本部に送った。
 「島原の復興は進んでいるが、平成新山はいまだ危険な状況が続いていると聞いている。いつ発生するか分からない自然災害に備える重要性を改めて感じた」。惨事から30年余りが経過した平成新山を見て、そう思いを新たにしていた。


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