「戦争繰り返さないように」佐世保空襲から77年 「語り継ぐ会」木原代表の活動

佐世保空襲の実相について解説する木原さん=佐世保市、まちなかコミュニティセンター

 約1200人の市民が犠牲になった佐世保空襲から77年。「NPO法人佐世保空襲を語り継ぐ会」の代表、木原秀夫さん(77)=長崎県佐世保市権常寺町=は空襲の約4カ月前に生まれ、その惨禍を直接は知らない。だが「二度と戦争を繰り返さないように」との願いから、空襲にとどまらず、戦争の実態を伝えようと活動を続けている。
 木原さんは同市の早岐地区出身。そのため、1945年6月28日深夜から翌日未明にかけて市街地で起きた佐世保空襲には巻き込まれていない。だが母親らから「烏帽子岳の向こうが真っ赤に燃えていた」といった話や、市街地に遊びに行った際に「ここで空襲があった」などという話を聞かされてきた。
 「なぜ戦争が起きたのか」。以前から関心があった木原さんは高校教員を定年退職した後、長崎市で被爆の実相を伝える平和案内人として活動した。学校で戦争について詳しくは学んできたわけではなく、「次の世代にはきちんと戦争のことを知ってもらいたい。そもそも自分自身がちゃんと知っておきたい」。そう強く思っての選択だった。勉強を重ね、約10年間、平和案内人として修学旅行生らに戦争の実態を語ってきた。
 数年前、佐世保に戻り、「語り継ぐ会」を知った。「今まで学んだことを生かしたい」と活動に加わった。
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 25日、佐世保市内で開かれた「市民の集い」。基調講演した木原さんは参加した市民ら約60人に、米軍爆撃機B29の拠点だったテニアン島(マリアナ諸島)での米兵のエピソードを紹介した。
 島は日本が統治していたが44年に米軍が攻め落とした。米兵は島に残った子どもたちと交流を深めていたが、島からは空襲するため爆撃機が出撃していく。「自分は何をやっているんだ」。ジレンマを抱える米兵の姿を通して、戦争の悲惨さを訴えた。
 講演後にはロシアによるウクライナ侵攻を受け「なぜ戦争を防げないのか」をテーマに意見交換会も行った。「戦争を始めるのは政治家。そして政治家を選ぶのは国民です」「武力では解決できない。話し合いがあるべきではないのか」「だが敵が攻めてきたら話し合いはできるのか。(何が正解か)結論が出せない…」。市民らは悩みながらも自身の考えや思いを口々に語った。
 「こうしたテーマについて考え、意見を出し合う機会はなかなかない」。参加者たちの様子に木原さんは充実感もにじませた。

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