空襲を語り伝える

 「遠くの空が真っ赤になって…」と、旧北松浦郡の町で生まれ育った親から、その夜のことをたまに聞いた。1945年6月28日深夜から翌日の未明にかけての佐世保大空襲は街を火の海にし、上空を赤く染めた▲同じ言葉がきのうの紙面にあり、目を見張る。「NPO法人佐世保空襲を語り継ぐ会」の代表、木原秀夫さん(77)は空襲の少し前に生まれ、直接的には空襲を知らない。親族たちから「烏帽子岳の向こうが真っ赤に燃えていた」と聞いてきたらしい▲長崎市で原爆について伝える平和案内人をしてきた。数年前に佐世保に戻ったのを機に「語り継ぐ会」の活動に加わったという▲空襲に遭い、体験を語り続けてきた女性の講話が、数年前の紙面にある。焼夷(しょうい)弾の雨の中、防空壕(ごう)に走った。壕に煙が充満した。それまで「国のためなら死ねる」と思っていたが「死にたくない」と心底、願った…▲実体験ほど心に響くものはない。もちろんそうだが、体験を伝え聞いた世代が、さらに次の世代に語り伝える時がすでに来ている。木原さんの活動がまさにそうだろう▲県内で米軍の空襲を受けたのは12市町、2千人ほどが犠牲になったとされる。「伝え聞く」から「語り伝える」へ。佐世保大空襲に限らず、原爆に限らず、「知らない世代」にやることがある。(徹)

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