知らなかった

 「…マサル兄ちゃんは長崎にはおらんで、たしか明くる日に帰ってきたとよ」-ほんの数日前のことだ。法事のお寺の帰り道、7月で80歳になった叔母が、不意に77年前の8月10日の話を始めた。私的な話で申し訳ない。「マサル兄ちゃん」は46年前に46歳で死んだ筆者の父だ▲ずっと昔、小学校の低学年の頃に父母のどちらかから「父さんも母さんも、ひばくしゃではないよ」とだけ聞き「ふーん」とうなずいて、それきりだった。驚いた▲当時16歳で「見習いの兵隊」のような身分だった父は原爆の投下時、市外にいたようだ。丸尾町の自宅に戻ると、父親の消息が分からなくなっていて、勤め先の工場の辺りを捜して歩いたらしい。その場所には今、長崎新聞社が立っている▲入市被爆の要件に該当しそうだ。だが「俺は直接、原爆に遭ったわけじゃないけん」と、手帳の申請はしなかったという。「被爆者」になることに何か抵抗やためらいがあったのか、自分はそんなにひどい目には遭っていない-と妙に生真面目に考えたのか、それとも▲何もかも焼き尽くされ、破壊し尽くされた原子野のどこかに、16歳の父がいたのだ。幾度も見たことのある映像や写真が昨日は違って見えた▲わが家にも“原爆”があった。叔母に話の続きを聞かなければならない。(智)


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