故渡辺千恵子さんの訴え、世界に 平和宣言にエピソード ゆかりの被爆者ら願い

渡辺さんの写真が飾られた車いすの横で、朗読する合唱団のメンバー=7月24日、長崎市魚の町、市民会館文化ホール

 長崎原爆で下半身不随となり、車いすで核兵器廃絶を訴えた故渡辺千恵子さん(1993年に64歳で死去)。9日の平和祈念式典で田上富久長崎市長が読み上げる平和宣言文に生前のエピソードが盛り込まれる。渡辺さんの半生を描いた合唱組曲「平和の旅へ」の生みの親の一人で、被爆者の長野靖男さん(79)=西彼時津町=は「『核兵器を使ってはならない』という千恵子さんの訴えを、世界に発信してほしい」と期待を寄せる。
 渡辺さんは16歳の時、爆心地から2.5キロの学徒動員先の工場で被爆。鉄骨の下敷きとなり、下半身不随でほぼ寝たきりの生活を余儀なくされた。原爆投下から10年後の55年に被爆者団体の先駆けとなる「長崎原爆乙女の会」を結成。翌56年に長崎市であった第2回原水爆禁止世界大会で母親に抱きかかえられて核廃絶を訴え、生きがいを見つけた。
 合唱組曲が誕生したのは85年。長野さんは、アマチュア作詞・作曲家、園田鉄美さん(70)らと被爆40年を記念する音楽イベント向けの楽曲作りを企画。渡辺さん宅を訪ね、被爆体験を聞き取った。長野さんは「前向きで未来志向。ヒマワリのような人だった」と印象を振り返る。
 完成した組曲は約30分。合唱の間に、被爆直後の様子や人前で被爆体験を語る心の葛藤などの朗読を挟んだ。曲を聴いた渡辺さんは「私が死んでも被爆体験を伝えてくれる」と喜んだという。
 約50人が所属する合唱団は85年の初演以来、修学旅行生や県内外の行事向けに約260回上演。観客は延べ15万人以上に上る。
 核使用の脅威が増す中で迎える原爆の日。長野さんは「使われた結果を私たちは知っている。『核なき世界を』と未来に希望を託した千恵子さんの思いに世界は応えてくれると信じたい」と話した。


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