「めげない精神」でファション界をけん引 三宅一生さん死去

5日、がんのため84歳で亡くなった広島市出身の世界的ファッションデザイナー・三宅 一生さん。体形を選ばずにおしゃれに着こなせる服作りの名人の原動力は、ヒロシマで生まれ育った「めげない精神」だったそうです。

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三宅 一生 さん 2010年 文化勲章を授与されて
「デザイナーという仕事に携わる人間は、ポジティブな考え方を持つことが重要」

「イッセイミヤケ」のブランド名で知られる三宅 一生さん。広島県庁1階ロビーには、10日、広島市の名誉市民であり、名誉県民でもある三宅一生さんの慰霊台が設けられました。

三宅さんは1938年、現在の広島市東区で生まれました。

多摩美術大学を卒業したあと、フランスに渡って服飾のデザインを学び、その後、ニューヨークでの修行を経て、1970年に独立。翌年に自らのブランド「イッセイミヤケ」をスタートさせました。

衣服の原点を「1枚の布」という概念でとらえたことで国際的に評価され、三宅さんは、「世界のミヤケ」として知られることになりました。

中でも「プリーツ・プリーズ」シリーズは機能性や汎用性を伴った、着る人を選ばない画期的なデザインとして世界中で人気を博しました。

一方で、2009年にはアメリカのニューヨークタイムズで7歳のときの被爆経験を初めて明らかにして、核兵器廃絶と世界平和の実現を訴え、オバマ大統領に広島訪問を呼びかけました

三宅 一生 さん
「広島で育ったこと、そして広島のことを思うということは、違った精神を持つことになったような気がする。めげない精神。少しずつたまっていった気がして、『そんなこと不可能だ』といつも言われてきたが、なんとかここまでやってこれた」

長年にわたる功績が認められ、2010年には文化勲章を、2016年にはフランス政府から芸術文化勲章最高章である『コマンドゥール』を授与されています。

この広島出身の巨匠の訃報を受け、広島県の湯崎知事は、「三宅さんのファッションへの情熱、平和への強いメッセージは今後も世界に向けて発信され続けていくものと確信していました。誠に残念でなりません」と追悼のコメントを発表しました。

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