15日精霊流し 「越中先生」船で送る わらと竹で昔ながらに

協力して「もやい船」を造る自治会関係者ら=長崎市伊良林1丁目

 昨年9月に亡くなった郷土史家の越中哲也さん(享年99)。長崎学の体系化や継承に貢献し、精霊流しや長崎くんちのテレビ解説を長年務めた。地元の長崎市伊良林1丁目自治会は15日の精霊流しで、わらと竹を使った昔ながらの船で「越中先生」を送る。
 越中さんは伊良林1丁目の光源寺で生まれた。長崎の歴史文化に造詣が深く、市立博物館長や長崎史談会会長などを務めた。気さくで親切、飾らない人柄でいつも笑顔に囲まれていた。
 「長崎の歴史を楽しく伝えたのがあの人」と評するのは、70年以上の付き合いという峰正敏さん(73)。自治会主催の講演会では、100人以上の聴衆で会場があふれ返った。傘寿を過ぎた頃から、自治会が製作した精霊船を見ると「次は私が(船に)乗る」と口にしていた越中さん。峰さんは「今年はもう間に合いませんけんねと笑い合っていたが、いよいよ本当に乗ることになった。盛大に送ってやらんば」と話す。

越中哲也さん=2012年12月、長崎市桶屋町

 「越中先生が乗るから昔ながらの船で送ろう」と、長年船造りに携わってきた人の指導を受けながら、6月中旬から「もやい船」の製作を開始。今年初盆を迎えた越中さんら5人を送る。おいで元長崎学研究所所長の土肥原弘久さん(64)は「本来、精霊船は流さない宗派だが自治会の船には乗りたかったと思う」と笑顔。「自分からしたら『ただのおじちゃん』だが、同業者としてはもっと学びたいことがあった」と振り返る。
 作業中も、越中さんとの思い出話に花が咲き、誰もがほっこりする。生前、本紙の聞き書きシリーズで精霊流しについて「精霊流しはだんだんとにぎやかになりました。戦前の精霊流しは今よりも寂しかった。しめやかに涙を流しながら送っていました」と解説していた越中さん。船の総責任者の大串昭二さん(59)は「派手に送ります。その方がきっと楽しかし、先生も喜ぶでしょ」と笑顔で言った。


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