噴火災害忘れない 「メモリアルデー」2年ぶり開催 南島原・大野木場小

第2校歌「生きていたんだね」を合唱する児童=南島原市、大野木場小

 1991年9月15日の雲仙・普賢岳噴火の大火砕流で校舎を焼失した長崎県南島原市深江町の市立大野木場小(山外誉(ほまれ)校長、90人)で15日、噴火災害の教訓を語り継ぐ集会「メモリアルデー」を2年ぶりに開催。全校児童や被災当時を知る当時の職員らが集い、災害の教訓を分かち合った。
 大野木場小は被災後、仮校舎で授業を続け、2000年に約1キロ離れた現在地に校舎を再建。旧校舎は災害遺構として保存されている。98年から9月15日をメモリアルデーとして被災や復興の歩みを学んでいる。30年目の昨年はコロナ禍で中止した。
 この日は、5、6年生計41人が災害学習で学んだ噴火前後の地域の変容や被災生活などを説明。6年生はこれまで、同校が災害時受けた支援などを紹介し、感謝の気持ちを伝えた。
 火砕流の熱風から再生した旧校庭のイチョウを題材にした第2校歌「生きていたんだね」を作詞作曲したシンガー・ソングライターの寺井一通(かずみち)さん(73)=長崎市在住=が講話。「20年ぶりにイチョウと対面した。樹齢80年近く生きてきて、芽を出せなかった被災1年目、芽吹いた2年目の春。当時、命のたくましさに感動した。思いを込めた曲を歌い継いでくれてうれしい」と話した。最後に児童や教職員で合唱した。
 6年生の坂本野々華さん(12)が講師らに感謝の言葉を伝え、岡本奈々さん(12)が「この日心に残ったことを家族と話してみよう。そして、災害によって二度と命を落とすことがないよう、語り継ぎましょう」と締めくくった。


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