戦乱の南朝方を率いた武将脇屋義助「大義に生きた」 拠点地の福井県で子孫トーク「比較されて肩身狭い…」

脇屋義助の子孫としての思いを語る脇屋智樹さん=福井県の鯖江市北中山公民館

 福井県鯖江市北中山地区ゆかりの武将脇屋義助の歴史を語り合うトークセッションがこのほど、北中山公民館で開かれた。義助と兄の新田義貞それぞれの子孫らが登壇し、戦乱の南北朝時代に思いをはせた。

 義助は同地区の山城、三峯城を拠点に南朝方を率いた武将。その子孫、脇屋智樹さん(38)=福井市=は「兄の義貞の死後も信念を持って戦い続け、名前の通り大義に生きた武将だったと感じる」と遺徳をしのんだ。また「自分の幼少期には、偉大な先祖の義助と比較されて肩身の狭い思いをしたこともあった」と笑いを誘った。

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 義助の兄、義貞の子孫で藤島神社(福井市)宮司の新田義和さん(46)は、義貞、義助を祭神として祭る同神社の歴史について解説。義貞の菩提寺、称念寺(坂井市)の住職、高尾察誠さん(69)も登壇し、「太平記」に描かれた両公の姿を読み解いた。

 イベントは同地区まちづくり委員会の歴史伝承部会「北中山語り部の会」発足10周年を記念して開催。この日、甲冑姿であいさつした五十子春一会長は「多くの人の協力と会員の熱意により、地域の歴史、伝説を幅広い世代に語り継いでこられた」と感謝を述べた。

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