国交正常化50年

 初当選から1年足らずの久保勘一知事が、中国に送った親書の中身を明かした。「日中両国の国交回復を念願し、本県との交易にも配慮を願う」ものだ、と▲1970年12月、県議会での発言だが、田中角栄氏が首相の座を握り、電撃的な日中共同声明を発表する、つまり国交を結ぶのは、これから2年ほど先のこと。一地方のトップはずっと先を見ていた▲久保知事は終戦まで中国の大連でゴム工場を営み、人一倍の思い入れが中国にあった。共同声明からわずかひと月で、県の友好使節団が全国自治体で初めての訪中を果たす▲国交正常化30年の節目に、往時の話を関係者に聞いた。85年、長崎に総領事館が置かれたが、その1年半前に来県した中国共産党の胡耀邦総書記は、当時の高田勇知事に耳打ちしたという。「長崎は中国に友好的で、必ず領事館を設置します」▲うれしくてうれしくて、でもその時は外務省の口止めで公表できずにね、と高田さんは懐かしんでおられた。華僑、長崎と上海を結んだ日華連絡船、70年代からの友好の実現…。中国との深い縁はとてもここでは書き切れない▲近年は長崎が中国から人を迎える立場になった。国交正常化から半世紀、日中関係は揺れ動いているが、長崎との絶え間ない縁と、先人の思いを振り返る節目にもしたい。(徹)

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