中村三郎没後100年

 〈長崎の港見おろすこの岡に君も病めれば息づきのぼる〉。1920年10月9日、スペイン風邪が癒えた歌人斎藤茂吉は、長崎くんちの最中に、息を切らして諏訪神社の上まで友人と登った▲「君」とは長崎生まれの歌人、中村三郎。歌人若山牧水に師事し将来を嘱望されていたが、この時、既に肺結核を患っていた。1922年4月18日、31歳の若さで世を去った。今年は没後100年▲三郎は画家でもあった。魚類図鑑「グラバー図譜」には、命をも写し取ったような精緻な標本画を数多く残している▲〈はしきやし諏訪の祭りの踊子が踊れるあとに暮るる街角〉。「はしきやし」は「いとおしい」「あわれ」という意味。くんちが去った寂しさを詠んだ歌だが、奉納踊りが3年連続で中止となった今、胸に染み入ってくる▲諏訪神社の近く、県立長崎図書館郷土資料センターへ上る坂道に長崎歌人会が建てた歌碑がある。〈川端に牛と馬とがつながれて牛と馬とが風に吹かるる〉。写生の奥に、全てを達観したような趣を感じる代表作だ▲墓は長崎市の晧台(こうたい)寺にある。墓参した牧水は〈三郎よ汝(な)がふるさとに来てみれば汝(な)が墓にはや苔(こけ)ぞ生ひたる〉と詠み、まな弟子を悼んだ。もっと長く生きていれば、誰もが知る近代指折りの歌人になっていただろう。(潤)

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