三島中洲顕彰 倉敷の生家跡碑修復 東京・二松学舎が創立145周年

修復された三島中洲の生家跡碑

 倉敷市中島地区出身の漢学者で二松学舎大(東京)を創設した三島中洲(ちゅうしゅう)(1830~1919年)の生家跡にある石碑が修復された。中洲の業績を顕彰するもので、同大を運営する学校法人二松学舎(同)が「先生の人となりや足跡を伝える史跡として引き続き活用してもらいたい」と手掛けた。

 中洲は中島村(現倉敷市中島)に生まれ、山田方谷の私塾で学んだ後に備中松山藩へ仕官。明治新政府でも活躍し、二松学舎大の前身となる漢学塾を立ち上げたほか、60代で皇太子(後の大正天皇)の教育係である東宮侍講を務めた。

 同法人などによると、生家は江戸時代後期に建てられ、傷みが激しくなったこともあり1982~84年の間に取り壊されたとみられる。碑は幅1.2メートル、高さ2.1メートルで、中洲の思想や功績を後世に伝えようと生家跡の一角へ84年に整備した。碑の前には、同門で玉島地区出身の漢学者・川田甕江(おうこう)(1830~96年)が中洲の生家に身を寄せ頭髪をそった際に座った庭石も置かれている。

 碑には1400字超にわたって中洲の生涯が記されているが、風化が進み一部碑文が読めなくなっていた。法人が今年創立145周年を迎えるのに合わせ、傷んだ部分に新しい石を貼り文字を彫り直したほか、碑を囲むチェーンを設けた。

 顕彰活動を続ける市民グループ「中島学区郷土を学ぶ会」の応武孝義会長(70)は「(中洲は)偉大な人物で中島の誇り。伝承に生かしていきたい」と話している。

 10月中には看板の設置も予定。碑文の解説をはじめ、中洲や関連人物の肖像画などを掲載する。

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