「47歳でゼロからの始まりだった」拉致被害者地村保志さん、北朝鮮から帰国後の20年

帰国から20年を迎え会見する地村保志さん=10月15日、福井県の小浜市役所

 福井県小浜市の拉致被害者地村保志さん(67)は、帰国してから20年を迎えた10月15日、同市役所で記者会見した。帰国後、子どもを北朝鮮に残したまま永住を決断した苦悩を語った一方、日本での生活に不安がある中で同級生をはじめ市民、県民の支えが大きかったと振り返り「小浜に生まれて良かった」と感謝を述べた。

 地村さんは1978年7月、妻富貴恵さん(67)とともに拉致され、24年後の2002年10月15日に帰国した。

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 当初は「一時帰国」の予定で、北朝鮮に3人の子どもを残しており、保志さんは「子どもたちを呼び戻せるか悩んだ」と永住帰国の決断を振り返った。しかし「県民、市民、同級生の皆さんが横にいてくれて、子どもたちを待ち続けることができた」と話した。

 04年5月に日本に来た子どもたちは、行政や市民ボランティアの支援もあり、半年ほどで日本語を習得。3人全員が進学、就職し、現在は自立している。保志さんは「(子どもの就職のために)地元企業が手を差し伸べてくれた。心から感謝している」と述べた。

 自身の社会復帰については「(帰国当時)47歳でゼロからの始まりだったので大変不安だった」。研修を受け、保志さんは小浜市役所職員、富貴恵さんは県庁の嘱託職員として勤めた。

 一方で、他の被害者の帰国が果たせていない現状には「被害者本人が高齢化し、今救出しないと生存した状態での奪還は難しくなる」と強い危機感を示し「(自分の)帰国20年を、節目ととらえることはできない」と述べた。政府に対しては「国際社会に訴えるだけではなく、北朝鮮と水面下、実務者で協議を進めてほしい」と求めた。

 現在、保志さんは地元の小中学校を中心に講演をしたり、署名活動に参加したりしている。15日には、小浜市内で開幕した「OBAMA食のまつり」の会場で、同級生とともに署名を募った。残された被害者の救出に向けては「啓発や署名活動をして、少しでも被害者救出に役立てるよう頑張りたい。拉致を知らない若い世代にも体験を語っていきたい」と述べた。

 会見には救う会福井の森本信二会長(67)も出席し「決して諦めないという気持ちで地道に活動を続けたい」と話した。

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